ヒトラーの忘れもの
デンマークからドイツ軍が列になって引き上げてゆく。ジープに乗ってじっと観察していた男がおもむろに一人の兵士に殴りかかる。「文句があるか!文句があるか!」ナチスへの憎しみが血だらけの顔を何度も殴りつける。
その男ラスムスン軍曹は、海岸にナチスが設置した地雷除去の責任者となる。作業するのはナチスの少年兵11人だ。地雷の除去など全くの素人。教えられた手順で這いつくばって少しずつ取り除いてゆくが、1時間に6個ずつ除去しても3か月かかるという。気の遠くなるような作業だ。
しかも食料はろくに与えられず、体調が悪くなっても休ませてもらえない。ある少年兵は地雷の上に嘔吐しながら爆発させてしまい、両腕をもぎとられた。空腹に耐えかねた少年たちは家畜のえさに手を出し集団食中毒を起こしてしまう…。
デンマークは1940年から5年間ナチスの支配下にあった。ナチスは連合国の侵攻に備え、スカンジナビア半島からフランスまでの大西洋の海岸線に「大西洋の壁」と呼ばれる防御線を築いた。そのうちデンマークの西海岸は400kmを占め、そこに埋められた地雷は150万個という。
監督はデンマークのマーチン・サントフリート。
「私は誰かを非難したり責任を追及しているわけではありません。ただ、ドイツ人を怪物扱いしない映画があっても面白いんじゃないかと思ったんです。第二次世界大戦の後始末のためにドイツ人の少年たちが犠牲になるという物語を。でも、結局のところ人間についての映画で、憎しみがいかにして赦しへと変わってゆくかが描かれます。」
最初は少年兵たちに憎しみの感情をぶつけていたラスムスン軍曹だったが、次第にその憎しみを持ち続けることが難しくなってゆく。理屈ではなく、少年たちが少年であるがゆえにこの仕事の非人間性に疑問を感じ始めるのだ。
兄弟を地雷で亡くし錯乱する少年がいる。精神安定剤を打ち、なだめる軍曹。やがて落ち着きを取り戻した少年は、ドイツに帰ったら復興の手伝いをしたいと軍曹に語る。
「ドイツは焼け野原ですから…。左官をするんです。」
「そうか…。いい仕事だな。」
その時の軍曹は国境をこえてすでに父親だ。しかし、上官は軍曹にこう言い放つ。
「情でも移ったか。ナチの罪を忘れるな。」
そもそもこうした少年たちにナチスを代表させるべきなのか。ナチスは残虐な行いをした。しかし逆に今それを行っているのはデンマークなのだ。ただ一方で、こういう考えもあるだろう。もしナチスの勢いが衰えなかったとしたら、この少年たちもやがて残虐な行いをするようになったのだ、だから同情する必要はない、と。果たしてそうなのか。この映画はそこにある救いを生み出そうとする。
原題は「地雷の国」。「ヒトラーの忘れもの」は日本で新たに考えたタイトルだろうが、秀逸である。戦争は終わった後にもいつもとんでもないものを置き去りにして、子どもたちがその被害を受ける。そしてそれは戦争に限ったことでないのかもしれない。
私たちは何か忘れ物をしてやいないか。後世の少年が命がけで這いつくばらなければならないような、恐ろしい忘れものを。
監督・脚本:マーチン・サントフリート
主演:ローラン・ムラ
2015年 デンマーク・ドイツ 101分
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幸せなひとりぼっち
ブーケを買おうとしている老人。二束買うと割引なのだが、一束しか必要が無い。店員に一束なら割引額の半額にすべきだと言い募っている。あきれ顔の店員。次に訪れるのは墓地。墓石のそばにたたずむ老人の手にはブーケが二束。結局店員の言うことを聞いたんだなと思わず笑ってしまう。
老人は妻に死なれたばかりのやもめ暮らし。何もかも面白くない。ある日長年勤めた鉄道会社もクビに。首を吊って死のうとするが、窓から見えるのは自分の家に今にもぶつかりそうな引っ越しの車。新しい隣人がやってきたのだ。我慢できず飛び出し、運転の下手さを罵る老人。やれやれ自殺もままならない。
映画は、ひねくれ老人オーヴェのこれまでの半生をはさみながら、引っ越してきた隣人との交流を描く。嫌われ者の老人がどう変わってゆくのか。時に笑いを交えながら、ハラハラドキドキ描いてゆく。
原作の「幸せなひとりぼっち」はスウェーデンの作家フレドリック・パックマンの著作で、250万部の世界的ベストセラーだという。監督・脚本はスウェーデンのハンネス・ホルム。
「オーヴェは私自身の父親に似ている。父親は非常にきっちりした人でね、不愛想で冷たそうに見えたけど、中身は愛情深くて温かい人だった。…そういえば最近、喫煙禁止場所でタバコを吸っている人を見かけたんだ。私は近寄って行って、ここは喫煙禁止だと注意したよ。私もその性格を受け継いでいるのかもしれない。」(ハンネス・ホルム)
まわりが何と思おうと自分の規律に従って生き、周りからは煙たがられる老人は人間の定型の一つだ。しかし大抵の場合、社交的な奥さんが周囲との橋渡し役を行う。そうでなくても大抵の場合、仕事は有能で、不愛想であることが逆に信頼感を産んだりする。この主人公の場合、そのどちらもが一挙に奪われ、嫌われるしかない状況に追い込まれるのだ。
この映画の面白いところはオーヴェの若い日々を描きながら、現在の嫌われ老人を描いてゆくことだ。当たり前だがこんなおじいさんでも若い頃があり、情熱的な恋愛もしたのだ。
よくよく知ってみると可愛げがあって愛すべき人物に思えてくる。隣人の主婦パルヴァネはそのことが直感的にわかるのか、なぜか最初から嫌がるそぶりもない。
ある時、彼に車の運転の教師を頼むのだが、うまくいかずに落ち込んでいると、オーヴェはこういって励ますのだ。
「あなたは3人の子供を産み、戦火のイラクを生き延び、こんな遠くまで旅をしてきて、あんな頼りない旦那と夫婦をやっている。運転ぐらい出来ないわけはない。」
冷たく接するように見えて、こういう風に見ていたのかと改めて感心する。この隣人との出会いでオーヴェは日々の生甲斐を見出すが、彼自身は本質的なところは何も変わっていない。私たちの見方が、彼を知ることで変わったのだ。原作のフレドリック・パックマンはこう語っている。
「本の冒頭でもラストでも同じ人物だ。読者の視点が変わっただけ。彼が感情移入しやすい人物になったのではなくて、読者が彼という人間の理解を深めたということなんだ。」
人を理解することは難しい。でも逆に人は、自分を理解してくれる人がたった一人でもいれば生きていける。そのことをユーモアと少しばかりのペーソスで描く、あたたかな映画である。
監督・脚本:ハンネス・ホルム
主演:ロルフ・ラスゴード
原作:「幸せなひとりぼっち」フレドリック・パックマン著 ハヤカワ文庫
スウェーデン 2015 / 116分
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弁護人
韓国、釜山。高卒だが苦学し裁判官になったソン・ウソクは、弁護士に転じて不動産登記の仕事に乗り出す。1978年、折からの不動産ブームで仕事は順調に拡大、やがて税金問題を専門とする弁護士に転じ、釜山一金を稼ぐと言われる弁護士になってゆく。
金儲けが正義だったソン・ウソクには、政治への関心は皆無だった。デモをする学生を「勉強がイヤだからやっているだけだ」と馬鹿にして、高校時代の旧友にあきれられる始末。そんな彼に転機が訪れる。馴染みのクッパ屋の息子(大学生)が、無実の罪で警察に逮捕され、拷問を受けていたのだ―。
2003年から5年間、韓国の大統領だった廬武鉉の若いころの実話をベースに描いたものだという。軸となるのはいわゆる「釜林事件」である。軍事政権下で民主勢力を抹殺するため、社会科学書籍を勉強していた学生など19人を不法に逮捕・監禁して拷問。国家保安法違反などの罪をねつ造した事件だ。おととし公開された韓国では1100万人を動員し大ヒットを記録した。監督はこれが長編映画デビューのヤン・ウソク。
「『弁護人』は純粋で無垢な人間が世界を変えようと尽力する映画で、それを伝統的で古典的な手法で描く事を目指しました。…ひとりの男がドラマティックに根底から変わる、まさにその瞬間を描きたかったのです。」
ソン・ウソクは、「釜林事件」に巻き込まれたクッパ屋の息子ジヌの弁護を引き受けることで変わってゆく。お金儲け専門から人権派弁護士に変ってゆくのだ。彼は、かつてジヌに「デモなんて行くんじゃない。卵で壁は割れないぞ」と語ったことがある。その時ジヌはこう言い返す。
「壁は死んでいるが卵は生きている。やがて孵って鳥になり、いつか壁を越えてゆく。おじさん知らないの?」
時がたち、ジヌが強大な権力の前に裁判をあきらめかけた時、ソン・ウソクはこの同じ言葉を言い返すことになる。
後年、ソン・ウソクならぬ廬武鉉は大統領になり、人々から愛される存在だったという。さらに数年たった今、いみじくも大きな国民デモが沸き起こり、その力は朴槿恵大統領の弾劾を決議させるに至っている。
それにしても、この映画の拷問シーンはとてつもなく恐怖を感じる。映画で拷問シーンというのはよくあるし、他と比べて特別どうだ、というのではないのだが、妙な現実感がある。なぜなんだろう。同じアジアで距離的に近いからか。30数年前で時間が近いからか。いや、それよりもむしろ日本のある種の空気圧に共振しているのかもしれない。国家あっての個人、という考えが大手を振って語られる今の空気に。
無論拷問を行う側も理屈があるのだ。すべては国家のためだ、と。しかし国家とは何か。ソン・ウソクは裁判で、残虐な拷問を繰り返した警監にこう叫ぶ。
「国家とは何ですか。憲法にはこうあります。国家の主権は国民にあり、すべての権力は国民から生まれる、と。国家とは国民なのです。」
作家の村上春樹もエルサレム賞のスピーチで、同じ壁と卵の比喩を用いてこう言っている。システム(壁)が私たちを作ったのではない。私たちがシステム(壁)を作ったのだ、と。
そして私たち国民とは概念ではない。ひとりひとりなのだ。当たり前のことが当たり前でなくなる。これほど恐ろしいことはない。
監督:ヤン・ウソク
主演:ソン・ガンホ、イム・シワン 2013年 韓国 127分
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聖の青春
満開の桜の公園の片隅にゴミに交じって一人の男が倒れている。棋士、村山聖25歳。この時七段。誰かに抱えてもらわないと対局場にも行けぬほどに体が弱ってしまっている。座っているのもやっと。しかし将棋を指すという情熱が彼の体を支えている。
村山聖(さとし)は実在の人物だ。幼いころからネフローゼを患い、プロ棋士になってからは膀胱がんに苦しみ、29歳の若さで亡くなった。この映画は亡くなるまでの4年間の村山の生きざまを綴る。
村山は勝つことにこだわる。将棋にこだわる。力及ばずに将棋の世界を去ってゆく同僚に、「お前は負け犬だ」と激しく罵る。脳の働きが鈍るから麻酔をしないで手術をしてくれ、と医師に言い放つ。純粋であり、ある意味で馬鹿である。
監督は「宇宙兄弟」の森義隆。村山を演じたのは松山ケンイチ。この役作りのために26kgも増量したという。
「村山さんの純粋さみたいなものは、絶対に汚したくなかった。ただの純粋さじゃなくて、尖った、しかもイキのいい純粋さ。勝負師というのは、すごく研ぎ澄まされて純粋な気がします。それを出すためには、演技みたいなもの、表現するということも捨てないといけなかった。」(松山ケンイチインタビューから)
ところが映画を見終わって、パンフレットを覗いて驚いた。村山の次の言葉が大きく紹介されていたからだ。映画の印象とはずいぶん違う述懐だったのだ。
「僕が勝つということは相手を殺すということだ、目には見えないかもしれないがどこかで確実に殺している。人を殺さなければ生きていけないのがプロの世界である。自分はそのことに時々耐えられなくなる、人を傷つけながら勝ち抜いていくことにいったい何の意味があるんだろう。」(原作より抜粋)
映画では紹介されなかったが、このような感受性を持つ人間が、勝負の世界で生きていけるものなのだろうか。もしこの言葉が本当なら、村山はこの思いを自らの内に押さえ込み、まさに命をかけた勝負を続けたことになる。
そこまでして勝負を続けずにはいられなかった村山。村山にとって将棋とは何か。ある時ライバルであり憧憬の存在である羽生善治との勝負を制した村山は、その夜羽生を飲みに誘う。福島の温泉街の小さな居酒屋。向かい合う二人。何のために将棋を指すのか、という村山の問いに羽生はこう答える。
「今日あなたに負けて死にたいくらい悔しい思いをした。」
「負けたくない?」
「その思いしかないでしょう。」
村山が言う。
「羽生さんが見ている海はみんなとは違う。」
「怖くなるときがあるんです。深く潜りすぎて、そのうち戻ってこれなくなるんじゃないかって…。」
「そこはどんな景色なんでしょうね。」
「村山さんとなら、一緒に行けるかもしれない…。」
決して洗練された映画ではない。しかし棋士たちの内面の思いを表わそうと不器用に挑むその手つきが、村山聖のごつごつとした生きざまに共振して、心を震わせる。
監督:森義隆
脚本:向井康介
主演:松山ケンイチ、東出昌大
原作:「聖の青春」大崎善生 講談社文庫
湾生回家
湾生とは、戦前台湾で生まれた日本人のことを言うらしい。日清戦争で台湾を得た日本はその後50年にわたってこの島を支配した。その間多くの日本人が海を渡り、多くの日本人がかの地で生まれた。しかし、敗戦後彼らの多くは本土に送還された。その数20万という。
この映画は湾生たちの生まれ育った台湾への思いを綴り、自分が何者であるかという問いに答えるための旅に密着したドキュメンタリーである。あるひとは、生まれ育った花蓮港に幼なじみの消息を訪ね歩き、あるひとは生家を探し出すために何度も訪れる。旅を続けることで、それぞれが自分の人生を耕している。80歳を超える高齢であるにもかかわらず、不思議とすがすがしい印象を残す。
監督は台湾人のホァン・ミンチェン(黄銘正)。46歳の彼は、当初「湾生」のことはまったく知らなかったという。
「私はこの映画を“歴史的な観点”から撮りたいとは思いませんでした。それよりも、戦争で様々な苦難にもまれてきた人々の運命、そして、その人々がどのような気持ちでこの人生を過ごしてきたか、記憶とはいったい何なのか、それらにまつわる貴重な証言をこの映画のなかで描きたかったわけです。彼らのあたたかさ、包容力、人間の豊かさを描く映画にしたいと思っていました。そして、そのあたたかさを映画の核とし、その中心には異邦人とは何かということを据えました。」
湾生たちの多くは戻ってきた日本に違和感を覚えていたようだ。おそらくは日本で生まれた日本人ではないという理由で周囲のまなざしが冷たく、苦労を重ねてきたのだろうと想像する。
85歳の家倉多恵子さんもその一人だ。彼女は五木寛之の著作で「異邦人」という言葉を見出し、自らが「異邦人」であると深く納得する。そして体の不調が続く中で台湾を訪れ、不思議なことに健康を取り戻すに至るのだ。
この映画で、大きな軸となっているのは、幼いころ養女に出されたために戦後台湾に残り、80年もの間実の母親を探し続けている片山清子さんの存在だ。片山さんは今病床に伏しており、その娘と孫が片山さんのために日本の岡山や大阪を訪れる。
実の母親はどんな人だったのだろうか。片山さんのことをどう思っていたのだろうか。戦後どのように暮らしてきたのだろうか。娘や孫たちの旅は、彼女たち自身のルーツを探す旅でもあり、母が子を決して捨てたわけではないのだという事をすがるような思いで確認する、そんな旅となった。そのたびの果てに彼らが見つけたものとは何だったのだろう。
印象深いシーンがある。
娘や孫たちは大阪のとある町のアパートに、晩年ひとりで暮らしていたことを突き止める。そのあたりに知っている人がいるかも知れない。ある年配の男性は、撮影は駄目だが電話でならという事で話を聞かせてくれた。たどたどしい日本語で聞く片山さんの孫に男性が答える。
―親しい友人はいましたか?
「友人はいなかったようです…。」
片山さんの実の母、すなわち自分のひいおばあちゃんは、もしかすると幸福な人生ではなかったかもしれない。しかし、
「端正な人でしたよ…。美人でした…」
その言葉を聞く孫に少し嬉しそうな表情がよぎる。
湾生の人たちに限らない。人は自分につながる過去を知ることで、現在に生きる意味を知ろうとする。しかしその思いの激しさが、戦後70年あまりを生き抜いた日々の過酷さを思わせ、激しく胸をゆすぶる。
「水平線の向こうに、台湾が消えるまで歌っていた…」
台湾を離れる時に、家倉さんが船上で弟と歌ったという唱歌「ふるさと」が今、耳にこびりついて離れないでいる。
監督:ホァン・ミンチェン(黄銘正)
プロデューサー:ファン・ジェンヨウ(范健祐)、内藤諭 2016年 台湾 111分
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この世界の片隅に
とても漫画チックな?絵柄にも関わらず、ひとりの女性の半生を確かに見た、そんなどっしりとした印象がある。
昭和19年、広島市内から呉に嫁いできたすず、18歳。段々畑の中腹にあるその家からは、呉の軍港が見下ろせる。夫は海軍の書記官。やさしい義理の両親といけずな義姉。次第に戦況は悪化し、配給が少なくなり、空襲警報が頻繁に鳴るようになる。
流れる日常を淡々としっかりと細部まで描いてゆく。井戸での水くみ、かまどの炊事、野草の料理、砂糖壺にたかるアリの群れ。ある時、幼い姪を連れて歩きながら、米軍の時限爆弾が穴の奥にあることに気付くが…。
監督は片渕須直。原作は「夕凪の街 桜の国」の、こうの史代。こうの史代は原作のあとがきでこう述べている。
「わたしは死んだ事がないので、死が最悪の不幸であるのかどうかわかりません。他者になったこともないから、すべての命の尊さだの素晴らしさだのも、厳密にはわからないままかも知れません。…そこで、この作品では、戦時の生活がだらだら続く様子を描く事にしました。そしてまず、そこにだって幾つも転がっていた筈の『誰か』の『生』の悲しみやきらめきを知ろうとしました。」
すずに実在感を与えているのはやはり、印象深いシーンをつなげながら、一筋縄ではいかない人間というものを描きこんでいるからだろう。たとえばこんなシーンがある。
昭和19年12月、巡洋艦「青葉」がマニラで負傷し呉に寄港した。水兵として勤務する幼なじみの水原が一時休暇ですずを訪ねてくる。ほのかな思いが二人にはあり、しかしそれが交わらずにいる。納屋の二階で水原は言う。
「あーあー普通じゃのう あたりまえのことで怒って あたりまえのことで謝りよる すず、お前はほんまに普通の人じゃ」
「わしはどこで人間のあたりまえから外されたんじゃろう じゃけえ すずが普通で安心した …ずうっとこの世界で普通で…まともでおってくれ」
普通とは何だろう。目の前のことに一生懸命になって、小さなことに一喜一憂して、みんなで笑って、時に怒ってけんかして、泣いたりわめいたり…。普通に生きていることがとてつもなくありがたく見える世界が、幸せなものであるはずがない。
やがて広島と長崎に原爆が落とされ、敗戦。玉音放送を聞いたすずが怒り、叫ぶ。
「そんなん覚悟のうえじゃないんかね?最後のひとりまで戦うんじゃなかったんかね?うちはこんなん納得できん!!!」
そして、ひとりふらふらと段々畑を上る。
「飛び去ってゆく。うちらのこれまでが。それでいいと思ってきたものが。だから我慢しようと思ってきたその理由が」
原作ではこのあとこう呟くのだ。
「ああ…暴力で従えとったいう事か じゃけえ暴力に屈するという事かね それがこの国の正体かね うちも知らんまま死にたかったなあ」
とても大きく広いこの世界の、とてもちいさな片隅で、私たちは生きてゆく。なぜとも知らずに。物語の終盤、焼け野原の広島ですずはボロボロになった孤児と出会う。すがりつくその子の手をとって言うのだ。
「あんた…よう広島で生きとってくれんさったね」
思えば、幼なじみの水原に最後に渡した手帳にも「立派に成って呉れて有難う」と書き、夫にも「うちを見つけてくれてありがとう」と語った、すず。感謝するとは相手の存在を認めることだ。「生きていいんだよ」と語りかけることだ。そんな言葉を、出会った一人ずつに手渡すためにすずは生きている、と思う。
声の出演:のん
日本 2016 年
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手紙は憶えている
目覚めると横に妻の姿を探す老人。その妻は1週間前に亡くなっているが、眠るたびにその事実を忘れてしまう。90歳のゼヴ・グットマン。認知症である。妻の葬儀を終えた彼は、同じ老人ホームに暮らす友人から一通の手紙を受け取る。そこには驚くべきことが書かれていた。
2人はともにアウシュヴィッツを生き延びたユダヤ人であり、ゼヴは彼らの家族を殺した男に復讐を果たす約束をしたというのだ。妻が亡くなった今、約束を果たす時が来た。元ナチスのその男はルディ・コランダーという別名を名乗り、アメリカにいる。該当者は4人。ゼヴは手紙に書かれたとおりに拳銃を手に入れ、順番にルディ・コランダーを訪ねてゆく―。
アウシュヴィッツをテーマにした映画では異色の作品である。通常はナチスの非人間性、収容所の恐るべき理不尽さを当時の時点に立ちかえって訴えるものなのだが、この作品はあくまで70年後という現時点にこだわり、今にアウシュヴィッツがもたらす意味を問うている。監督は「スウィート ヒアアフター」のアトム・エゴヤン。
「その時代特有のトラウマが、世代を超えてどのように屈折していくか。そこに一番興味がある。『手紙は憶えている』で掘り下げたテーマも、まさにそこなんだ。…これは第二次世界大戦という題材を、現在進行形の問題として描く最後の映画になるだろう。」
復讐を果たそうとするゼヴに迷いはない。記憶が混濁する中、手紙を唯一のよりどころに、彼は様々なルディ・コランダーに出会うことになる。
印象深いシーンがある。何人目だったか、ある病院に入院しているルディ・コランダーを訪ねる。アウシュヴィッツにいたことを確認するゼヴ。「お前のしたことは許せることじゃない」と拳銃を取り出すが、その時ルディの腕に彫られた数字が目に入る。囚人番号だ。
「その数字はどうしたんだ?」
「…同性愛者だったんだ」
ゼヴは「すまないことをした。許してくれ」と泣き崩れる。病院のベッドに寝かされたルディの胸に顔をうずめ、しばらく泣き止むことがない…。
映画は復讐を軸に進んでゆくが、実のところ記憶と忘却を巡る物語と言っていいだろう。現実でも、ナチスの罪を追求する動きは終わっていない。今年6月、94歳の元ナチス親衛隊の男が、アウシュヴィッツで17万人の殺害に関与していたとして、ドイツの裁判所で有罪判決を受けた。禁固5年の刑である。戦後酪農業を営んでいた彼は、犠牲者らに「申し訳ない」と述べこう語ったという。
「家族は私がアウシュヴィッツで働いていたことを誰も知りませんでした。私はそのことを口にすることすらできなかったのです。恥じていました」(AFP記事)
70年たっても糾弾を続けることの社会的な意味、それは決して忘れてはならないというメッセージだと思う
人間の肉体は衰え、認知症となりすべてを忘れようとする。社会も同じなのか、時がたてば過去は忘れ去られようとする。しかしゼヴは両方の意味でそれと闘う。混濁する意識に苦しみながら記憶の喪失にあらがい、旅を続ける。そしてついに決定的な過去を思い出す。最後のルディ・コランダーを前にこうつぶやくのだ。
「憶えている」
それは、忘却にあらがい続けた旅の果てにたどり着くことの出来る、ひとつの境地には違いない。ただ、それが幸か不幸かは別にして。
監督:アトム・エゴヤン
脚本:ベンジャミン・オーガスト
主演:クリストファー・ブラマー
カナダ=ドイツ 2015 / 95分
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