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映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

この国の空

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暗闇に雨の音がする。雨の音に交じってブラームスのバイオリンが聴こえる。隣家の男が弾いているのだ。戦争末期の東京、杉並。里子は父親を病気で亡くし、母親と二人で暮らしている。静かな映画だ。民家は焼かれ、子どもたちは疎開、静けさの中で日常が繰り返される。空にB29があらわれた時以外は。

 

隣家の市毛は38歳だが、丙種で兵隊にとられていない。銀行勤めで妻子を疎開させている。里子(19歳)は、防空壕を借りたり身の回りの世話をしたりするうち、次第に市毛を男として意識するようになる…。

 

監督は荒井晴彦。著名な脚本家だが、監督作は「身も心も」以来18年ぶり2本目。原作は高井有一高井有一は昭和7年生まれで東京大空襲の経験者だという。その後疎開先の秋田で母親を入水自殺で亡くした。

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印象的なシーンがある。着物を米に変えてもらおうと出かけた田舎の河原で、里子と母の蔦江がお弁当を食べる。里子は嫌がるが蔦江は上半身を陽の下にさらして水を浴びる。

「あんたは私に似てるのよね、顔よりも体つきが」

「何よ、くだらない」

「姉さんが言ってたわよ、里子は女の匂いがするようになったって」

「厭らしい」

そして蔦江は「市毛さんに気を許しては駄目よ」と釘を刺しながら、「市毛がいてくれてありがたい」と矛盾した心情を吐露するのだ。もしかすると男を知らずに空襲で亡くなるかもしれない娘を歯噛みするような思いで見つめている。

 

何かが狂った日常ー。高井有一はこう語っている。

 

「二人には自分たちの感情をなんと名付けたらいいか、判らなかったでしょう。時代の風にあおられて、二枚の木の葉が一隅に抱き寄せられるような関係で、母親はそれをよく知っていたから必ずしも好ましくないと思いながらも見守らざるを得なかった。」

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この映画は表面が静謐でありながら、その奥にマグマのような熱を感じさせる。表面が冷ややかであればあるほど温度が増す。それは里子そのものだ。里子はつつましやかだが、身内にたぎる熱を意志の力で抑え込んでいる。時折身内の熱にうなされて、畳の上をのたうつ。しかし何という生命力。この生命力を感じるとき、戦争という背景は遠景に引く。

 

だからこの映画は反戦映画ではない。むしろある時代状況に投げ込まれたひとりの女の物語だ。それは状況が戦時下であっても、一党独裁の監視社会下であっても、自由を謳歌する社会であっても同じ。いわば普遍的な女性像を提示したともいえる。だからなのか里子はどちらかというと個性が薄い。だがそのためにかえって「おんな」そのものが溢れ出し匂い立つのだ。

 

高井有一は時代の風にあおられた二人というが、里子の力は時代を超えているので、市毛はもともとひとたまりもない。それは原作にない、演じた二階堂ふみの力なのだろうと思う。

 

映画の最後は8月14日。何かが狂った日常が、何でもない日常に戻る予感におののきながら、里子がある決意をして終わる。

そのあとの演出はおそらく賛否両論あるだろう。画面が暗転した後、茨木のり子の詩「私が一番きれいだった時」全編が朗読されるのだ。

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わたしが一番きれいだったとき

街々はがらがら崩れていって

とんでもないところから

青空なんかが見えたりした

 

わたしが一番きれいだったとき

まわりの人達が沢山死んだ

工場で 海で 名もない島で

わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった

 

・・・

 

わたしが一番きれいだったとき

わたしはとてもふしあわせ

わたしはとてもとんちんかん

わたしはめっぽうさびしかった

 

・・・

 

茨木のり子「私が一番きれいだった時」部分)

 

この時、映画は監督の意思を伝える。里子の女としての生命力に圧倒されていた観客の私は、少し冷静になれと言われたような気がする。ちょっと考えてもみろよ、戦争がなければ彼女にはもっと違う人生があったはずなんだぜ、と。その通りだろう。だが、詩は最後にこう締めくくられる。この詩人は「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」と謳った人なのだ。この詩の要諦はおそらくこの最終連にある。

 

だから決めた できれば長生きすることに

年とってから凄く美しい絵を描いた

フランスのルオー爺さんのように  ね

 

茨木のり子も敗戦の年、里子と同じ19歳だった。この詩を書いたのは戦後13年を経た32歳の時。未来を見つめるまなざしが里子の最後の表情と通い合う。つよい人だと思う。里子も茨木のり子も。

 

監督・脚本:荒井晴彦

原作:高井有一

主演:二階堂ふみ長谷川博己工藤夕貴      2015/130分

公式サイト

http://kuni-sora.com/

 

ちょっとひと息

今回は新宿テアトルで見ました。靖国通りを挟んで歌舞伎町ですが、その昔歌舞伎町に「スカラ座」という名曲喫茶がありました。ツタが絡まり存在感のある洋館でしたが、2002年に閉館。とても残念でしたが、あれだけお客がいなくてはな、と思ったものです。その後、新宿駅西口地下に再びお目見えしましたが、かつてのスカラ座とはまるっきり変わっていました。まあ洋館からビルの一室なので当然ですが。ところが、その店も今月いっぱいで閉店というではありませんか。うーん。寂しい限りです。☕☕

  f:id:mikanpro:20150825210652j:plain 旧スカラ座   f:id:mikanpro:20150825210755j:plain 新スカラ座