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映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

ブリッジ・オブ・スパイ

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初老の男が自画像を描いている。とても画家には見えない。平凡な顔立ちの男だ。自画像を描く人間は常に自分の人生の意味を反芻している、という。男はやがてスパイ容疑で逮捕される。1957年、ニューヨーク。米ソ冷戦真っ只中の出来事である。男には弁護士がつけられた。ほとんどのアメリカ人がスパイの死刑を望む中、この弁護士、ドノヴァンはどんな人間にも等しく公平な裁判を受ける権利があると主張する。これが映画の前半である。

 

ドノヴァン弁護士の考え方に疑義を呈するCIAに向かって、彼は言う。

「あなたはイタリア系、私の祖先はアイルランドから来た。この二人を等しくアメリカ国民にしているもの、それが合衆国憲法なんですよ。この憲法を守ることがアメリカ人の務めなのです」と。

しかし、彼は周囲から「裏切者」として白い目で見られるようになり…。

 

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恐怖のために異物を排除したいという人々-。映画はとても不寛容なアメリカを描いている。人間に本能(恐怖)と理性(寛容)の両方があるとして、理性というのは生まれた時には常に0なのかもしれない。だから、育っていく過程で積み上げていかなくてはいけない。しかしうまく積み上げられないと、あるいは積み上げられても本能が勝ると、過去人間が不寛容故に体験した悲惨な歴史を、何度も何度も繰り返してしまう。ドノヴァンは理性的であるがゆえに迫害を受ける。

 

監督はスティーブン・スピルバーグ 

「誤解を恐れずに言えば、歴史と言うのはフィクションよりも面白いと思う。歴史の中でとても魅力のある出来事に気づくと、“誰もこんな話を作り出すことは出来なかった!”と思う。…そういう本では、誰も話題にしたことがないような貴重な話、真実の一片が見つかる。」

 

こんな人がいた、と言う素直な感動が映画の通奏低音として生きている。今は、「アメリカ人とは」、という問いにアメリカ人が答えられなくなっている時代なのかもしれない。スピルバーグはその答えをドノヴァンに見出そうとしているのではないかと思う。

 

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映画の後半は、アベルとアメリカ人捕虜との交換交渉を任されたドノヴァンの、旧東ドイツでの活躍をサスペンスフルに描く。個人的には前半のほうがはるかに面白かったのだが、映画全体としては後半のサスペンスがメインのようだ。

 

前半に印象深いシーンがある。ドノヴァンはスパイのアベルと心を通わせてゆくのだが、裁判が苦しい状況に陥ったときに、アベルが子供時代の話をする。見知らぬ男が家に居候していたとき、父親が「この人を見ておけ」と言った。子どもながらに見た目平凡な男だった。ある時自宅に憲兵がやってきて家族全員を殴り倒した。しかしこの男だけは何度殴られても立ち上がったのだ。何度も何度も。ついに殴るのを止めた憲兵は言った「…不屈の男だ」と。

 

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アベルはその「男」の影をドノヴァンに見ていたのだし、ドノヴァンはそのことを自分に語るアベルの信頼のメッセージを受け取るのだ。最初アベル憲兵の言葉をおそらくロシア語で言った。その言葉を、少し考えてようやく英語で言い変えたその間(マ)がいい。「…不屈の男だ」と。国籍が違っても「見るべき」人は同じということか。