映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

リップヴァンウィンクルの花嫁

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雑踏の中、一人の女性が男性を待っている。初めて会う相手のようだ。スマホでお互いの位置を確認しあう。ようやく会えると男性がカフェに誘う。女性がついてゆく。黒木華である。

 

黒木華を見るために映画館に行った。渋谷のユーロスペースは休日のせいか、満席。ぎゅうぎゅう詰めの観客席で、岩井俊二監督の期待にたがわぬ映像を堪能する。女性を撮るのがうまいと言われる。彼の見たいと欲する映像が、女優の魅力のある焦点に合致する。幸福な人である。ただ少ししつこい場面もあったけれど。       

                     f:id:mikanpro:20160405222109j:plain 渋谷ユーロスペース

                  

物語はいつもうつむき加減に生きている主人公の七海が、様々な出会いや事件を通して成長してゆく、そんな姿を描く。SNSで本音を呟きながら、リアルのつながりは希薄なままただ流されてゆく七海。「ネットで買い物をするように彼氏も手に入れた」。

 

「でも七海を否定的に描いたわけではなく、どちらかというとSNSという発明によって出会いが生まれているということの是非を、彼女を通して描きたかった。保守的な考えでいうと、そんな出会いは本当の出会いといえるのかとなるんだけど、じゃあ逆に今までの装置はどうだったのかと。」(岩井俊二インタビューから)

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やがて七海はひょんなことから真白という女性と出会う。SNSを介する出会いではない。ただ普通の出会いでもない。皆がリアルと感じている世界が嘘だと分かる世界で出会う。だからじゃあ、いったいリアルって何なのよ、という問いかけが映画の通奏低音になっている。

真白はガラス細工のようにもろい。リアルな世界に生き、傷ついてもあえて逃げすに傷つき続ける。そしてそのまま七海に触れる。そして抱き合いながら言う。

 

「コンビニとかスーパーとかで買い物してるとき、お店の人がわたしの買った物をせっせと袋に入れてくれてるときにさ、あたしなんかのためにその手がせっせと動いてくれてるんだよ わたしなんかのために 御菓子や御総菜なんかを袋につめてくれてるわけ それを見てると胸がギュッとして泣きたくなる あたしには幸せの限界があるの 誰よりも早く限界がくる ありんこよりも早く だってこの世界はさ 幸せだらけなんだよ」

 

傷つきたくない。誰しも。だから関係を希薄にとどめる。そして時の過ぎるのを待つ。七海もそうだった。しかし真白は逃げない。だから傷つく。そんな真白に七海は惹かれてゆくが…。

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映画の後半、服をすべて脱ぎ捨て感情を爆発させる老女(りりぃ)が出てくる。七海を交えたそのシーンは、リアルとはこういうことだと強烈な印象を残す。濃密な肉体性が立ち上がり圧倒される。

 

もし今、リアルな関係が希薄な時代だとしても、それは私たちが求めてきた結果だと思う。だとすると後戻りは出来ない。ただもしこのあと、人との関係に悩むことがあれば、このりりぃの姿を思い出すかもしれない。そこには確かにリアルな人間がいた、と。そのような肉体の振る舞いが、人の心を救うこともあるのだ、と。

 

監督・脚本岩井俊二

主演:黒木華Cocco綾野剛

原作「リップヴァンウィンクルの花嫁」岩井俊二 文芸春秋

日本映画 2015

 

公式サイト

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