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映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

海よりもまだ深く

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駅の階段を降りた先にある立ち食いそば屋。良太は春菊天そばを注文する。美味そうである。西武線清瀬駅。旭が丘団地まではここからバスに乗る。年老いた母親が一人で暮らしているのだ。この日は亡くなった父親の遺品に金目の物を探しに来た。「確か掛け軸が雪舟だったよね…。」と母親につめよるが、母親は父親の物は捨ててしまったと、にべもない。良太、ちょっといじましい。

 

良太を演じるのは阿部寛。一度新人賞をとったきりパッとしない小説家志望の中年男だ。小説のリサーチと言い訳して興信所で働いているが、無類のギャンブル好きがたたって、いつも金に困っている。しかも、愛想をつかされ離婚した元妻(真木よう子)と一人息子に未練たらたら。ストーカーまがいの尾行までしてしまう。

 

監督・脚本は「海街diary」の是枝裕和。自分が生まれ育った実在の団地で撮影した。脚本の冒頭に「みんながなりたかった大人になれるわけじゃない」と書いたという。

 

「仕事だけでなく家庭でも、良太は息子であり、夫であり、父であり、弟でもありながら、何一つまともにできていません。良太をはじめ登場人物はみんな、なりたかったものになれない人生を送っています。考えてみれば団地だって、建て始めた当初は単身の高齢者ばかり暮らす現在の状況を予想だにしていなかったはずです。その切なさと登場人物の切なさを重ね合わせたいと思いました。」

               

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そういえば昔、出張が多かった頃、同じように出張に出かけた先で後輩がつぶやいた言葉が忘れられない。

 

「ビジネスホテルのバスタブに浸かっていると、俺ここで何やってるんだろうな、って思うんです。」

 

彼が夢見ていた自分は、田舎のビジネスホテルのバスタブに浸かるような人間では決してなかったのだろう。今でもホテルのバスタブを見るとその時の言葉を思い出す。

 

なりたかった大人になれるひとなんていない。なぜなら、子どものころなりたかった大人は、あこがれの誰かか、周囲の期待する未来の自分か、だからだ。そんなのは自分ではない。自分ではないのでなれるわけがない。そこからどうしてもそれてしまう自分の足取りは、それだからこそ自分自身のものだ。それに気づいたとき、人は自分の道を歩きはじめることになるのだろう。

 

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一筆書きのようなシンプルな映画だが、思いのほか余韻が深い。良太が単純そうに見えてそう簡単ではないという印象が一因かもしれない。母親役の樹木希林は劇中で「人生なんて単純よ」と言い切るのだが…。

 

小説家と言うのは、現実世界のマイナスがすべてオセロのようにプラスに反転する、と何かで読んだことがある。だとすれば良太もいじましい自分をそのまま書けばいいのだ。いい小説が出来るかもしれない。それともまだまだマイナスが足りないのだろうか。

 

未練も夢も捨てなくてよい。ただ自分の未来は彼方にはない。それは場末のビジネスホテルの、汚いバスタブの中から生まれるものかもしれないのだ。

 

原案・監督・脚本・編集:是枝裕和
主演:阿部寛樹木希林真木よう子
日本映画 2016 / 117分

 

公式サイト

http://gaga.ne.jp/umiyorimo/