映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

イレブン・ミニッツ

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不思議な映画である。何が不思議かと言えば、人の数だけあるような人生の喜怒哀楽が、この映画はすべて「無」だと語っているのだ。つまり、人生は空に現れた小さな黒いシミのようなものにすぎない、と。

 

午後5時。映画監督の宿泊するホテルの一室に招かれたひとりの女優。女優の夫は嫉妬にかられてホテルに向かう。そのころ、ホテルの周囲では様々な人たちが、それぞれの生活で悪戦苦闘していた。

 

配達先の人妻と情事を楽しむ配達夫、若い女性に唾を吐きかけられるホットドック売り、思い悩んだ末に質屋に強盗に入ったはいいが主人が首を吊っており、失敗に終わった若者…。そして、11分後に起きる「ある瞬間」に向かって映画の時が刻まれてゆく。

 

監督はポーランドの巨匠、イエジ―・スコリモフスキ。すでに78歳である。

 

「実のところ、登場人物の心の軌跡であるとか、動機を追ったり、もっともらしいストーリーラインやプロットポイント(筋を別の方向へ転回させるプロット上の重要なできごと)を提示したり、あるいは始まりと真ん中と終わりがあることを前提に考えたりすることには興味がない。」

                    

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ここに物語はない。人生の断片があるだけだ。ただ何事かが起きる予感が見るものをぐいぐい引っ張ってゆく。登場人物の幾人かは空に小さな黒いシミのようなものを見る。それが何であるのか。最後の最後に暗示されるそれは、いかにも不気味にこの世界をシンボライズする。

 

しかし人の世界を俯瞰すると、こうも滑稽なものになるのか。サム・ペキンパー監督の「わらの犬」という映画がある。タイトルは、老子の言葉、

 

「天地は仁ならず 万物を芻狗となす」
(天地自然は非情で、すべてのものをわらの犬のようにあつかう)

 

から採られているそうだが、「イレブン・ミニッツ」の登場人物たちはまさしく「わらの犬」だ。人間なんてそんなものだと、冷徹に精緻にそのことを見せつける。ただ登場人物それぞれの滑稽さが、逆にその悲惨を救ってはいるのだが。

 

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再びしかし…と考え込んでしまう。
この世界に生み出される多くの映画が希望のかけらを捨ててしまう。この不条理な現実が横行する世界で、希望のない映画は不毛である、と言ってしまいたい誘惑にかられる。安易な希望はごまかしであり絶望をかえって深めるということは、容易に想像がつくことだけれど。そして捨てるよりも生かすほうがはるかに困難な道なのだろうけれど。

 

監督・脚本:イエジ―・スコリモフスキ

主演:ヴォイチェフ・メツファルトフスキ、パウリナ・ハプコ

ポーランドアイルランド 2015 / 81分

 

公式サイト

http://mermaidfilms.co.jp/11minutes/