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映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

淵に立つ

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止め忘れたオルガンのメトロノームが感情をざらつかせる。時の流れは味方にならない、と映画は最初に告げている。

 

山形のとある町で零細な工場を営む鈴岡のもとに、古い友人が訪ねてくる。刑務所から出てきたばかりの八坂だ。二人は何か因縁があるらしくその日から住み込みで働くことになる。家族は妻と小学生の女の子。最初は戸惑う二人だが、八坂の丁寧な物腰もあって次第に受け入れてゆく。だが…。

 

舞台が家族であるから「家族」がテーマと言われるが、家族でなくともいい。これは人間「関係」の深淵を覗き込むような恐ろしい映画だと思う。監督は深田晃司。

 

「私が描きたいのは家族の崩壊ではなく、もともとバラバラである家族が、ああ、自分たちはバラバラで孤独だったんだなあ、ということを発見し、それでもなお隣にいる誰かと生きていかなくてはいけない、生き物の業のようなものです。」       

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突然の闖入者である八坂も不気味な人間だが、鈴岡はもっと不気味である。一見してごく普通であるのに、この不気味さは一体どこからきているのだろうか。

 

過去に犯した罪の意識が澱のように溜まって心に暗い穴を開けた。そのためにまともな人間関係を拒否するように生きている、ように見える。表面上はそこまで変ではないのだが、微妙な間合いによってそう感じさせる。その暗い穴と、一見の普通さとのアンバランスが不気味なのだ。演じるのは古館寛治。

 

「僕が面白いと思った点一つ挙げるとすれば、人間がいかに過去に操られて生きているかが描かれていると思いました。つまり、人生はその人の行動によって出来上がっているということです。」

 

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鈴岡は過去の時点で友人であったある男との「関係」によって半生を左右される。同時にまた、そうした鈴岡と「関係」を持ってしまったがゆえに、妻と娘は逃れがたい苦しみの中に生き続けることになる。「関係」は「関係」でつながり複雑に捩れあって身を縛る。

 

恐ろしいのは、八坂は後半、不在であるにもかかわらず、その存在を決して忘れられないようになってしまうという構造だ。時間は多くの物を押し流すが、この映画で時間に押し流されない「関係」のあることを、くっきりと浮き立たせてしまう。逃れられない「関係」の恐ろしさ。しかしそれでも孤独であることを選択できない人間という存在。

 

過去から逃げることができず、利己的であることで暗い穴から身を守ってきたともいえる鈴岡だったが、やがてある事柄から、その理不尽さに肉体がもだえ咆哮する。その咆哮は時を刻むメトロノームと重なり、やがて時間の中に消える。  

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脚本・監督・編集:深田晃司
音楽:小野川浩幸

英題:HARMONIUM
日本・フランス 2016 / 119分


公式サイト 

http://fuchi-movie.com/