映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

The NET 網に囚われた男

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北朝鮮の漁村。貧しい漁師の家。寝起きに朝飯を食い、妻を抱く。小さな娘がつぎのあたったクマのぬいぐるみを大事そうに持つ。あたたかである。男はそのまま網漁に出るが、エンジンの故障で韓国領に流されてしまう。

 

男の名はナム・チョルという。韓国警察はこの男がスパイかどうかを疑い、執拗に尋問を繰り返す。その方法は、これまでの経歴をすべて紙に書かせ、おかしな点があればそれを最初から書き直させるというものだ。理不尽に思いながら何度も何度も繰り返すナム・チョル。しかしひょんなことから、彼がかつて軍の特殊部隊に所属していたことが分かる…。

 

監督はキム・ギドク。この映画にはこれまでのような陰惨な場面も、わかりにくい心理の綾というようなものもない。むしろ出てくる登場人物はみなわかりやすい。現実社会の矛盾を描くのにその方が良いと判断したのだろう。

 

「わたしは映画監督なので、わたしの仕事は映画を作ることですが、そのためには、私が生きる社会がまず安全であることが必要です。…ここではとくに、今日まったく安全とは言えない韓国の状況について考えたいと思いました。」

             

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家族のために北朝鮮に帰りたいと繰り返すナム・チョル。そんな彼がスパイの訳はないという若い警護官と、潜在的スパイに違いないと暴力で自白させようとする取調官が対立する。果たしてナム・チョルを信じることができるのか。

何を言っても無駄だと絶望するナム・チョルは、若い警護官にこう漏らす。

 

「俺は今まで網で魚を獲りすぎたようです。網に捕らえられたら魚は終わり。今度は俺が網にかかりました。」

 

キム・ギドクは言う。

 

「ここでは南と北の、ふたつのシステムが浮き彫りにされている。両者はまったく異なりますが、互いに自分たちが正しいと信じている。でも両方とも間違っていて、お互い不幸だと思います。…でもその結果被害をこうむるのは、ネット(網)を作った当事者ではない人々なのです。」

 

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スパイでないなら亡命させようと躍起となる韓国当局。韓国側は独裁国家に返すことは決して彼のためにならない、と信じて疑わない。だから彼にソウルの裕福な街の様子を見せ、転向させようとする。しかし見えてくるのは韓国で進む格差社会の底辺を生きる人々だ。


しかも、彼の幸福イメージは、あの貧しい漁村での家族との暮らしにしかない。この絶望的なかい離は埋まらない。国家がすべてを管理する社会と、自由社会。(勝手に言い換えてしまえば、欲望を否定する社会と肯定する社会。)幸福はいったいどちらにあるのだろうか。

 

ふたつを細い糸でつないだ時、おそらくその両端に幸福はない。あるとすればその中間にかろうじて漂っているのだろう。儒教に「中庸」という言葉があるが、しかしそこに立ち、そこにとどまりつづけることは綱渡りのように難しい。それでもそこに向かってバランスをとるしかないと思うのだが。

           

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やがて帰ることになる北朝鮮でナム・チョルが選んだ行動は、意外なものだ。それは、個人として「中庸」であり、まっとうでありすぎた人間の悲劇として静かな余韻を残す。漂流する小さな漁船が描く細長い水脈のように。

 

監督・脚本:キム・ギドク
撮影:キム・ギドク
主演:リュ・スンボム

2016年 韓国 112分
 
公式サイト

http://www.thenet-ami.com/