映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

海は燃えている 

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地中海。イタリア最南端の島、ランペドゥーサ島。海岸沿いの松の木が低い枝を四方に長く伸ばしている。11歳の少年サムエレは枝の錯綜する頭上に小鳥を探している。やがて小さな枝を折るとナイフで削り始める。パチンコを作るのだ。

 

サムエレは友だちにパチンコの作り方を得意げに語る。「木は松がいい」と。二人は海岸沿いに生えるサボテンの葉に穴を開け、人の顔に見せる。それらをめがけてパチンコで撃ち合う。サボテンは面白いように砕ける。サボテンの笑った顔がゆがむ。

 

島の住民は5500人。人々は漁で生活している。しかし、年間5万人を超える難民・移民がアフリカなどから押し寄せる。この島のセンターを通じてヨーロッパ大陸へ渡るのだ。しかしサムエレが彼らと交わることはない。映画は、この島に移り住み1年半の歳月をかけてその日常を記録した。

 

監督はジャンフランコ・ロージ。

 

「距離は近いはずなのにコミュニケーションがとれないのです。その図式はヨーロッパのメタファーのようだと思いました。」

                      

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難民たちがのるボートからは、救助の要請が無線でひっきりなしにくる。

 

「今の位置は?」

「助けてください。小さな子どもがいます…」

 

やってくる難民の状況はひどい。救助艇が近づくと極度の脱水症状で動けなくなった男たちが何人もいる。中には死体となった人も。まさに命をかけて大陸を抜け出してくるのだ。

センターではアフリカの男たちが、これまでの来し方を歌うように語っている。

 

…ナイジェリアから逃げてきた。砂漠にのがれたが脱水症状で俺たちはみな自分の小便を飲んだ。俺たちは自分の小便を飲んだんだ。リビアの監獄ではいつもいつも殴られた。そして海に出たんだ。海に出たからこうして助かった。仲間はほとんど死んだが、俺はこうして助かった…

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ジャンフランコ・ロージがこの映画を撮るきっかけとなったのは、島に住む一人の医師ピエトロ・バルトロとの出会いからだという。彼はこの20年間、救助された移民・難民の上陸にすべて立ち会ってきた。

 

「一時間半ほどの濃密な話し合いのあと、彼はコンピューターのスイッチを入れ、私が移民・難民の悲劇に『自分の手で触れるよう』、これまで誰にも見せたことのないいくつかの写真を見せてくれました。胸の張り裂けるような写真でした。…私はランペドゥーサ島に引っ越し、古い港の小さな家を借りました。私はこの悲劇を島民の目を通して語りたかったのです。」

 

バルトロ医師のもとにある日、サムエレ少年がやってくる。視力検査をすると左目をほとんど使っていなかったことが分かる。視力を回復するため、右目をマスクして左目を鍛えるようにと言われる。しかし左目だけだと何度打ってもパチンコが的に当たらない…。

 

漁師の父親からは「パチンコばっかりしてないで、胃を鍛えろ」と言われるサムエレ。実は父親の船に乗り、酔って吐いてしまったのだ。「早く一人前の船乗りにならないとな」。親子でスパゲティを黙々と食べる姿が、不思議と愛おしいものに感じられる。

             

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ドキュメンタリーで、撮影者の存在をほとんど感じさせない映画を久しぶりに見たような気がする。カメラがいることをあえて無視するのは逆に不自然、という考えからか、最近の多くのドキュメンタリーは取材相手とカメラとの関係性を軸に展開する。

 

しかしジャンフランコ・ロージはあえて取材者の存在を隠す。そのことで1カット1カットが独自の緊張感を帯びている。それが現実のドキュメントでありながら詩的な余韻を残す要因だろう。そして濃密なカットは、撮影されなかった膨大な現実を想起させる。これほどのドキュメンタリーになかなか出会えるものではない。

 

「いかに撮るかでなく、いかに見逃すかが重要なのです。」

 

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ロージ監督は来日した時の記者会見で、バルトロ医師の言葉を紹介した。なぜランペドゥーサがここまで、島にやってくる人々を受け入れるのか、と監督が問うた時のことだ。

 

『ランペドゥーサは漁師たちの島で、漁師たちは海からくるものを受け入れるからだろう。』

 

そしてこう語っている。

 

「これは美しい言葉だと思いました。未知への恐怖を受け入れる。彼らから魂を学ぶべきではないでしょうか。」

 

未知なるものを受け入れることが成熟である、ということか。少年サムエレは桟橋につながれた小舟に揺られながら、船酔いに備えてからだを慣らす。やがて左の視力が少し回復する。「もう少しだ、もう少しだ」とつぶやく。

 

監督・撮影:ジャンフランコ・ロージ
イタリア・フランス 2016 / 114分
 
公式サイト

http://www.bitters.co.jp/umi/