読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

彼らが本気で編むときは、

f:id:mikanpro:20170306223626j:plain

小さなアパートの一室、洗濯物をたたみ終わると、テーブルに置いてあるコンビニおにぎりを食べる女の子。11歳のトモ。夜中に帰ってくる母親は酔って吐きながら眠ってしまう。いつものことなのか、寝起きの母親を残して学校に行く。しかしやがて母親は帰ってこなくなる。

 

困ったトモが頼れるのは母親の弟。つまり叔父さんのマキオだ。職場に行くと歓迎してくれたが、今はひとり暮らしじゃないという。ちょっと変わった同居人がいるらしい。そんなマキオの部屋でトモを待っていたのは、トランスジェンダーのリンコだった。それから3人の、奇妙であたたかな共同生活が始まる。

 

監督は「かもめ食堂」の荻上直子。新聞で、あるトランスジェンダーの女性の話を読んだのがきっかけだったという。

 

次男として生まれた彼女は、幼少期から可愛いものや女の子用の服を欲しがった。中学に入り『おっぱいが欲しい』と明かされると、彼女の母は、『あなたは女の子だもんね』と胸につける『ニセ乳』を一緒に作った、と記事にあった。そこには、女の子になった息子を自然のこととしてしっかり受けとめる母がいた。」

                    

                       f:id:mikanpro:20170306223704j:plain

                      
マキオは、介護施設で母親をていねいに洗う職員のリンコを見て、その美しさに一目惚れしたという。リンコはもともと男性として生まれた、ということを知ったのはそのあとのことらしい。そんなこともあるのだ。マキオは言う。

 

「リンコみたいな性格の人に惚れちゃったらね、それ以外のことはどうでも良くなっちゃうんだ。男とか、女とか、そういうことももはや関係ないんだ。」

 

映画を見ながら、「リンコみたいな性格」、すなわち「美しい性格」とはどういう性格なのかについて考えていた。他人に対する思いやりのあること、愛情の深いこと、そして考えられるのは、無私であること。「私」を捨てることの出来る人は美しい。しかしリンコは決して無私なひとではない。「私」の性に徹底的にこだわった末に行きついた生き方なのだから。しかし、逆にそこだけにこだわりぬくことで、あとのことは「無私」になることができるのか。

 

先日新聞を読んでいたら、哲学者の池田晶子氏の次の言葉が紹介されていた。

 

「君が自分を捨てて、無私の人であるほど、君は個性的な人になる。これは美しい逆説だ。真実だよ。」(「14歳からの哲学」)

 

f:id:mikanpro:20170306223736j:plain

 

リンコはトモに愛情を抱き、やがて自分たちの子どもとして育てたいと考えるようになる。しかし乗り越えるべきハードルは多い。そんなとき、トモの母親が姿を現す。

 

荻上監督は語っている。

トランスジェンダーであっても心が女性であれば、子どもができたら母性がわいて、母と子という関係性が生まれてくる。今回一番描きたかったことはそれなんです。…そして、リンコのなんということのない日常を丁寧に描くことで、その延長線上にある『誰もが持っている孤独感』を出せればと思いました。」

 

トランスジェンダーの人が、決して美しい性格の人ばかりというわけではないだろう。しかし、黙って編み物を続けるリンコの横顔には、必要以上に傷つき、悲しみ、憤り、それでも「私」を捨てることができなかったひとりの女性の、近寄りがたい「孤独」が滲んではっとさせられる。

                

                    f:id:mikanpro:20170306223758j:plain

監督・脚本:荻上直子
主演:生田斗真、桐谷健太、柿原りんか
日本映画 2017 / 127分

 
公式サイト 

http://kareamu.com/