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映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

草原の河

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チベット。標高3000メートルを超える高地に、羊を放牧して暮らす人々がいる。まだ春浅い日に、グルの一家は村を出て放牧のためのキャンプ地に移り住んだ。乾いた風が吹きつのり、強い日差しが肌を灼く。時折降る雪まじりの雨。家族は妻のルクドルと6歳の娘ヤンチェン・ラモ。

 

夜中に羊が騒ぎ目を覚ます。オオカミが羊を襲うのだ。ケガをした羊をテントに入れるが、翌朝には死んでしまう。死んだ羊の子どもなのか、子羊がテントの周りをぐるぐる回る。ヤンチェン・ラモは、その羊にミルクをあげジャチャと呼んで可愛がる。とてもシンプルな生活だ。

 

しかし、母親が妊娠したことで、ヤンチェン・ラモの思いは複雑だ。お気に入りのクマのぬいぐるみを、生まれてくるあかちゃんにあげなければいけないかもしれない。父親が「天珠」を見つけたから子が授かったと母親に聞いたヤンチェン・ラモは、その天珠を土の中に隠してしまうのだが…。          

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監督・脚本は、青海省チベット族自治州生まれのソンタルジャ。長編二作目。親戚のヤンチェン・ラモに出会い、彼女を同名の主人公に撮影しながら物語を紡ぎ出したという。

 

「私は失われたものを描きたくてこの映画を撮ったわけではない。急激な発展によって失ったものは世界中にたくさんあるが、そんな中で人間はどう生きているのか。それはチベットも世界の他の地域も何ら変わりがないということを言いたかった。」

 

はるかに続く草原には、放牧される羊と3人の家族以外に何もない。グルの移動手段はバイクだ。娘のヤンチェン・ラモを連れて、村人から“行者さま”と呼ばれる父親のもとへ病気見舞いに行く。道中を遮るのは、河だ。暖かくなって氷が解け、バイクを落としてしまう。苦労の末ようやくたどり着いても、グルは父親には会わず、ヤンチェン・ラモだけにあいさつさせる。父親とは何かの理由で会うのを拒んでいるのだ。

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父親文革で一度は僧侶をやめさせられ、その時妻をめとりグルが生まれたが、文革が終わると家族を捨てて僧侶に戻っていったらしい。映画はこのグルと父親との確執、そしてヤンチェン・ラモとやがて生まれてくる赤ちゃんとの関係を軸に進む。それはここがチベットであろうがどこであろうが普遍的なものだ。しかし生活の単純さは、思いの一つ一つを深く長くする。

 

「私にとって映画を撮る意味は、自分とは何者なのかということを探し続けることなのです。チベットにはまだまだたくさんの物語がある。」(ソンタルジャ監督)

 

物語の終盤、やがて放牧の季節が終わろうとするころ、河が増水し行く手を阻む。しかし同じ岸辺にいる者たちは、河の前に佇み時を過ごすことができる。そして思いを共有する。                                                      

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河は人を隔て、人を繋げる。そのような土地にヤンチェン・ラモは暮らし、やがて何ものかを残して生を終える。

 

監督・脚本:ソンタルジャ
主演:ヤンチェン・ラモ、グル・ツェテン、ルンゼン・ドルマ
原題:河 中国映画 2015 / 98分
 
公式サイト

http://moviola.jp/kawa/