映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

希望のかなた

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フィンランドの港町。岸壁に打ち付けるたぷたぷという音が、潮のにおいを感じさせる。運ばれてくるのは石炭。真っ黒な石炭の中からひょいと、大きな目をした男が顔を出す。男は町でシャワーを浴び、警察署に出向く。難民申請するためだ。

 

この男カーリドはシリアからやってきた。空爆で家と家族を失い、生き残った妹とは逃亡中にハンガリーの国境ではぐれた。

 

映画はもう一人の男を登場させる。身じまいを但し、出ていく老年の男。服のセールスマンだ。どういう関係か、座って酒を飲む老婆にカギと指輪を置いてゆく。そのまますべての服を売ってしまうと、賭博場に出向き、そのお金をすべて賭けてしまう。

 

どちらも過去を捨て新たな道をあるく男だ。この二人は出会わなければならない。そのことで映画の提示する現実が少し変わらなければならない。ライブハウスでは男が歌っている。

 

♪音楽か死か 音楽がすべて 理由などない
♪運がよけりゃうまくいく 賭けない奴は臆病なのさ

                

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監督は「ル・アーブルの靴磨き」のアキ・カウリスマキ。映画の背景をこう語っている。

フィンランドに3万人の若いイラク人が突然押し寄せてきた時、多くのフィンランド人が60年まえのように攻めこまれていると言い出した。新しい車とかワックスとかガソリンが、奴らに盗まれると言うんだ。」

 

そしてユーモアを交えた口調でこう付け加える。

「私はとても謙虚なので、観客ではなくて、世界を変えたかったんだよ。……映画にそんな影響力はない。だけど正直に言えば、その中の3人くらいにはこの映画を見せて、みんな同じ人間だと分かってもらいたかった。今日は“彼”や“彼女”が難民だけど、明日はあなたが難民になるかもしれないんだ。」

 

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カーリドは入国管理局で問われる。なぜフィンランドに来たのか、と。彼がこの国に来たのはただの偶然だった。しかし、石炭船に紛れ込んだとき親切にしてくれたフィンランド人が、このように語ったとカーリドは言う。フィンランドは皆が平等でいい国だ。内戦を経験して難民も出した。国民は決してそれを忘れない」と。

 

しかし申請の結果は不可。なぜかシリアには重大な害がないとされたのだ。翌日には本国に送還される。その夜、皮肉なことにシリアの小児病院が空爆されたニュースが流れ、カーリドはある決意をする…。

 

一方、賭博で儲けた老年の男は、その金でレストランを買う。かねて念願のレストラン経営に乗り出したのだが、居ついている従業員はそれぞれ一癖ある人物の様だ。ただ、男は意に介することもない。癖は癖のまま飲み込む。茫洋としてつかみどころがないが、大きな男だ。ある時、ごみ置き場の隅にカーリドがうずくまっているのを見つけるが…。

 

寛容とは、理性で計り知れない人間の器を要求するように思う。そのような器を誰しも持てるわけではない。ただ、なにがしか人生に問題が起こった時、この茫洋とした男の顔を思い出すのがいいかもしれない。少しは心の幅が広がるかもしれない。人間の幅が結局は人間を救うのだ。             

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映画は映画でしか表現できない不思議なユーモアを湛えて、時に大笑いしてしまう。そのあとで、笑いに含まれたペシミスティックな苦みを噛みしめることになる。監督は言う。

 

「文化なんて、人間の肩に積もった1mmの塵のようなものなんだ。」

 

大切なものほど、意識していないとすぐに消えてしまうのかもしれない。

 

監督・脚本:アキ・カウリスマキ
主演:シェルワン・ハジ、サカリ・クオスマネン
フィンランド 2017 / 98分 

公式サイト 

http://kibou-film.com/