映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

ラサへの歩き方 祈りの2400km

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五体投地という言葉に惹かれて映画を見た。―中国チベット自治区の東、マルカム県プラ村。薪をストーブにくべると子どもたちが目を覚ます。標高4000mの高地で人々はヤクを放牧し、薪を集めるために森に入る。父親を亡くしたばかりのニマは、父親の弟ヤンペルがラサに巡礼に行きたいと望んでいることを知り、共に出かけることを決意する。巡礼は父親が生前に思い残していたことだったのだ。

 

ニマが巡礼に出ることは村中に知れ渡り、多くの人が連れて行ってくれと声をかけてくる。家の新築で死者を2人も出してしまった男、家畜の解体を生業とするがその罪悪感に悩んできた男、そして妊娠6か月の女性や7歳くらいの少女、3家族11人のメンバーが集まった。

 

聖地ラサまで1200km、さらにカイラス山まで2400kmの道程だ。荷物をトラックに積み、運転手以外は五体投地という礼拝の作法で歩き続ける。両手に下駄のようなものを持ち、歩きながら手を上にあげ、一度打ち鳴らす。つぎに胸の前で二度。そして体全体を地面に投げ出し額をつける。それが延々と続く。                    

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何が起こるか待ち構えている雰囲気がドキュメンタリーのようであり、確実に美しく描かれているのが作られたシーンのようでもある。不思議な雰囲気の映画だ。見ていて途中までドキュメンタリーなのでは、と思ったほどだ。

 

監督は「胡同のひまわり」のチャン・ヤン。出演者はすべてプラ村の村人で、彼らが抱える日常の状況はそのまま映画に生かされている。

 

「この映画はドキュメンタリーではない。ドキュメンタリーもフィクションもじっくりと時間をかけねばならないが、ドキュメンタリーのほうがより傍観者であり、この映画では、監督である私が出来事の中に入っていく必要があった。私は思考の幅を広げ、その時々にキャッチしたものを脚本家として映画の物語にはめ込んでいく。そして次に脚本家から抜け出し、今度は監督の手法で表現してゆく。」 

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1日に進める距離は長くて10km。途中崖が崩れ落石の中を進んだり、水に浸かった道の上に身を投げ出したり、過酷なことこの上ない。後半、急いでいた車とぶつかり荷物を運ぶトラックが壊れてしまうというアクシデントが起こる。ニマたちは荷台だけ切り離し、何人かで押したり引いたりしながら進むことにする。驚いたのは押したり引いたりする人たちがある程度進むと、動き始めた地点に戻り、そこから五体投地を始めたことだ。

 

遅れたら困るとか、時間を節約するなどの考えは一切ない。ここでは「時間」は彼らのものだ。あるいは彼らを越えたところで流れる何かだ。そのことが驚きであり、うらやましくもあった。                     

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この映画の多くのシーンはドキュメンタリーとして撮影したとしても描けるものだったと思う。しかし、なぜ監督はフィクションを選んだのか。おそらく唯一ドキュメンタリーで描けないシーンがあり、監督はそこに最もこだわったのに違いない。最終盤に来るその事を描くために延々とこの物語を紡いできたのだ。

 

それもまた、「時間」が我々の意識をはるかに超えて流れているものだということを、ひそやかに教えてくれる。

 

監督:チャン・ヤン
撮影:グォ・ダーミン
中国 2015 / 118分

公式サイト

http://www.moviola.jp/lhasa/news.html

※この映画は2016年日本公開。現在東京のシアター・イメージフォーラムでアンコール上映されています。