映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

こんな夜更けにバナナかよ

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車いすに座った男が、周囲の人たちに命令口調で指示を出す。水が飲みたい、背中がかゆい、寝たい、起きたい、横向きたい…。そこまで言っていたか記憶にないがそんな感じ。周りの動きが自分の意に染まないと、容赦なく叱責を飛ばす。男は鹿野靖明34歳。筋ジストロフィーという難病で、今体で動かせるのは首と手だけだという。

 

そこへ田中君というボランティアの彼女、美咲がやってくる。鹿野は美咲に一目ぼれ。何の関係もなかったのだが、強引に泊りのボランティアに参加させられてしまう。夜中の2時になっても鹿野のしゃべりは止まらない。もともと寝つきが悪いのでボランティアに付き合わせているのだ。そして急に「バナナが食べたい」と言い出す。うんざりする美咲だったが、バナナを買いに近所を走り回る。怒ったようにバナナを鹿野の前にたたきつけると、怒った顔の美咲を見て鹿野はこう言い放つ。

 

「何か今ぐっと来たー」                                            

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その後も恋人の田中に頼まれ、鹿野のボランティアに参加する美咲だったが、あまりの傍若無人ぶりについに怒りが爆発。

 

「鹿野さんは、何様?障がい者だったら何言っても言い訳?」

 

と言い残し出て行ってしまう。

 

監督は前田哲。原作は渡辺一史の同名のノンフィクション。つまり実話である。

 

「最初に決めたのは『鹿野さんは、何様?』と言えてしまうヒロインでした。美咲には障がい者だからという壁が最初からありません。対する田中は、まさに『~だから』の人で、自分の中に壁をつくり自分を呪縛してしまっている。鹿野、美咲、田中の三角関係を軸に物語を進めることにしました。」

 

物語は、思ったことをはっきりと言えない田中と、思ったことしか言わない鹿野の間を揺れる美咲、という三角関係で進む。美咲もうじうじしたことが嫌いで、はっきりと意思表示する人間なので、鹿野に少しずつ心を許してゆく。やがて二人の仲は田中が嫉妬する事態にまで…。

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原作でバナナのくだりを読むと、若干状況が違っている。ボランティアの国吉という若者がこんな真夜中に、と思いながらバナナを食べさせているのだ。

 

「『で、ようやく1本食べ終わったと思って、皮をゴミ箱に投げ捨てて…』
もういいだろう。寝かせてくれ。そんな態度を全身にみなぎらせて、ベッドにもぐり込もうとする国吉に向かって、鹿野が言った。
『国ちゃん、もう1本』
なにィー!という驚きとともに、そこで鹿野に対する怒りは、急速に冷えていったという。
『あの気持ちの変化は、今でも不思議なんですよね。もう、この人の言うことは、なんでも聞いてやろう。あそこまでワガママがいえるっていうのは、ある意味、立派。』」
                                                                  (「こんな夜更けにバナナかよ」渡辺一史著)

 

鹿野はなぜこうもわがままで傍若無人なのか。性格と言ってしまえばそれまでだが、首と手しか動かせず、ほとんどすべてを他人の手に委ねる必要がある鹿野にとって、自分の欲望を実現させることは、単なるわがまま以上の「自立」の大きな基礎になっているらしい。原作の渡辺一史はこう語っている。

 

「従来、自立というのは『他人の助けを借りずに、自分でなんでもできること』…を意味していました。しかし、そうではなくて、自立というのは、自分でものごとを選択し、自分の人生をどうしたいかを自分で決めること、そのために他人や社会に堂々と助けを求めることである。彼らがそんなふうに『自立』の意味を180度転換してくれました。」                                        

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バナナの話でさらに驚くのは、ボランティアの国吉の怒りが消えたことより、鹿野がこうしたことを意識的に行っていると言っていることだ。「自分の殻を割らない」「自分探しをやっている」ボランティアがいれば、その人が変わる可能性を待っているというのだ。

 

「ボランティアは一人ひとり、考え方も違えば、価値観も違う。・・・そこをオレがなんとか引っぱってきて、引きずりだす。それがテクニックさ。」
                                                                  (「こんな夜更けにバナナかよ」渡辺一史著)

 

何もかもオープンにしなければ生きていけない鹿野にとって、「殻をかぶった」人間がまだるっこしく見えているのは間違いない。本音を言えよ、と叫んでいるのだ。こうした強烈なキャラクターに出会うと、人はやはり変わっていかざるを得ないだろうなと思う。

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三角関係のなか、美咲に対して自らを「偽善者」と自嘲し、医学生でありながら医者の道を諦めるとまで言い出した田中。映画の終盤、田中は鹿野にこう言い募る。

 

「正直って何ですか?正直に生きるってそんなにいいことですか?振り回されるまわりの身にもなってくださいよ。」

 

果たして3人はどうなっていくのか―。偽善の善も、善は善、と私のような人間は考えてしまう。そんなに純粋な善がどこにあるのか、と。正直であるとは悪であることではない。善と悪の間をいったりきたりする人間だと認めることだ。その振れ幅のなかにその人の個性がある。

 

監督:前田哲

脚本:橋本裕志

原作:「こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」渡辺一史著(文春文庫)

主演:大泉洋高畑充希三浦春馬
日本  2018 / 120分

公式サイト

http://www.bananakayo.jp/