映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

僕たちは希望という名の列車に乗った

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1956年、東ドイツスターリンシュタット駅からベルリンに向かう二人の青年がいた。西側にある祖父の墓参だという。クルトは、数多く並んだ墓標のひとつに佇みぼそっとつぶやく。

 

戦死なんて意味が分からん

 

そのあと忍び込んだ映画館で二人は西側のニュースを見て驚く。東ドイツと同じ立場のハンガリーで、ソ連の支配に抗して民衆が蜂起、多くの死傷者が出たのだ。クルトは翌日、進学クラスの仲間に、授業の開始後2分間の黙とうを提案する。

 

死んだ同志のために!

 

ただのいたずらに近い行為だった。しかしその行為の波紋は大きく広がり、軍学務局から果ては教育大臣まで登場して、首謀者探しが始まる。デモを起こしたハンガリーの民衆を支持することは、社会主義に対する深刻な敵対行為というわけだ。生徒たちは政治的な意図はないと弁明し、首謀者はいないと主張するのだが…。                                     

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監督は「アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男」のラース・クラウメ。

「本作も『アイヒマン~』同様、大きな混乱に陥った国で何が起こっていたのか、そして、恐ろしい歴史から新しい未来へつながる道をどうやって見つけようとしていたのかを描いている。東ドイツは国家と社会を通してその道を見つけようとし、西ドイツはそれとは別のものを通して見つけようとした。どちらの試みも非常に困難だった。両作で表現したいのは、そこなんだ。」

 

口を割らない学生たちに苛立ち、教育大臣のランゲは「首謀者を教えないと卒業試験を受けさせない」と脅す。エリートコースを約束されている学生たちは、家族の期待とのはざまで苦悩することになる。クルトは厳格な市議会議長の息子であり、親友のテオは父親が製鉄工場で働き、息子がエリートの進学クラスにいることを誇りに思っているからだ。

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この群像劇の中で、特に印象に残る青年像はエリックだ。2分間の黙祷の最中には教師の問いかけに我慢できず、「抗議のしるし」と答えてしまう気弱さがあり、逆に内に何かを秘めているようでもある。

 

エリックは、郡学務局の追求を受けて西側のラジオ放送をどこで聞いたのかを話してしまう。黙祷の首謀者は明かさなかったがラジオを聞かせてくれた人物への裏切り行為だ。そのため級友にしたたかに殴られるエリック。エリックは他の学生に比べて弱い人物なのだろうか?

 

エリックの父親は、ナチスと闘った英雄だとエリックは思っている。その面影を誇りに生きてきたのだ。しかし、やがて郡学務局はその父親の過去を暴き出し、エリックに二者択一を迫る。その事実を公にするか、首謀者を教えるか、と。ひどい話である。追い詰められたエリックは…。                                                          

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誰もが弱い。教育大臣のランゲはかつてナチスの拷問で付いた傷跡を、強さの証として誇らしげに見せる。しかしエリックが弱いと言うなら、ランゲだって弱いと思う。体制が自分側になると異論を権力で封殺する人間は弱い。その弱さを支えるのが「大義」だ。声高に大義を掲げると目の前の小さな事柄に目がいかなくなる。そして多くの悲劇が生まれる。

 

映画は自分たちの目の前の小さなことを必死に守ろうとした若者たちの物語である。しかし、ドイツを東西に分けたベルリンの壁が築かれそして崩れ去るまで、ここから実に33年の歳月を必要とする。

 

監督・脚本:ラース・クラウメ
主演:レオナルド・シャイヒャー、トム・グラメンツ、ヨナス・ダスラー
ドイツ  2018 / 111分


公式サイト 

http://bokutachi-kibou-movie.com/