映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

戦争と女の顔

喉の奥から鳴るようなシャックリのような音。画面の暗闇から聞こえてくると思うと、突然女性の顔が大写しになる。目の焦点があわず、意識が現実に無い。音は彼女の喉で鳴っている。


いつものことよ

と周りの女性。ずっと続いていた耳鳴りのような不快音が消えると、意識が戻ってくる。彼女イーヤは兵士だった。戦場での脳しんとうの後遺症だという。

時は第2次大戦直後。レニングラードの軍病院で働くイーヤは、男の子パーシュカと暮らしている。入院している退役軍人たちにも可愛がられていたが、意識が急に失われるイーヤの症状が不幸を生む。気付かぬうちに幼いパーシュカを圧殺してしまうのだ。

やがて実の母親マーシャが戦地から戻ってくる。イーヤは戦友のマーシャから、戦地で生まれたパーシュカを預かっていた…。

 

 

監督は1991年生まれのカンテミール・バラーゴフ。ロシアの映画監督で長編2作目(制作は2019年)。スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの「戦争は女の顔をしていない」にインスピレーションを受け、この映画を作った。現在はウクライナ侵攻に抗議し国を出ているという。

 

「私は第2慈生会大戦で戦った“女性の運命”に特に興味があり、資料によればこの戦争は女性の参戦率が最も高かった戦争でしたので、映像作家として『(女性として)命を与えるはずの人が、戦争の試練を乗り越えた後どうなるのか』という問いに答えを見出したかったのです。」

 

ソ連は第2次世界大戦で100万人以上の女性たちが参加し、戦場で男性に伍して戦ったという。イーヤもマーシャもその一人だ。戻ってきたパーシュカの母マーシャは、戦場で負った傷がもとで子どもを作れない体になっていた。息子パーシュカの死を知った彼女は、イーヤに自分のために子どもを産んでくれと半ば命令する。映画はこのマーシュの子どもに対する執着を軸に進んでいく。

 

 

子どもは癒しよ

 

とマーシャは言う。戦後の混乱期にこの執着が彼女の生を支える。イーヤはマーシャに逆らえず、狂的な行動に巻き込まれてゆく…。

 

そんなマーシャが戦場での経験を語るシーンがある。有力者の妻がマーシャを「戦地妻」と蔑みの目で見たときのことだ。

 

「その通り。何人も夫がいた。良かったのは食料隊長。飢えることがないから。そうやって戦場を生き延びてきたの。あなたにはできない。誰からも声がかからないから」

 

本当のことを言ってるのか、あえて偽悪的に嘘を言ってるのか分からない。戦争に参加したことでこんな目に遭ってさらに、帰国して周囲から蔑まれる、とてつもない理不尽がここにある。

 

 

イーヤが後遺症で喉を鳴らす様子は、塚本晋也監督の「野火」で、帰国した田村一等兵が食事をとりながら奇怪な動作を繰り返していたシーンを思い出す。(野火 - 映画のあとにも人生はつづく (hatenablog.com)

 

戦場を経験したものが抱えなければならない、無残な後遺症。(一種の狂気か。しかし正気とは何だろうかと思う。)

 

監督・脚本:カンテミール・バラーゴフ
主演:ヴィクトリア・ミロシニチェンコ、ヴァシリサ・ペレリギナ
ロシア  2019 / 137分

映画『戦争と女の顔』公式サイト (dyldajp.com)

 

PLAN75

ひとりの老人が殺されるところから始まる。犯人は自らの行いは社会のためだと言い、これがすべての始まりだとうそぶき自害する。生産性のない老人は社会のお荷物と考えているのだ。こうした事件が立て続けに起こり、やがて国は「PLAN75」という制度をスタートさせた。

 

PLAN75は、75歳になると自ら死を選ぶことができるという制度。安楽死をサポートするということだ。市役所に申し込むと、何に使っても良い10万円が支給され、心変わりしないように担当の職員が付く。

 

すべては穏やかに笑みをもって行われる。おかしいと思っても、自分で選ぶという制度の前提がそのおかしさを覆ってしまっている。

78歳の角谷ミチ(倍賞千恵子)は夫と死別して一人暮らし。ホテル清掃の仕事をしていたが、ある日同年齢の仲間が倒れたことからなぜか連帯で責任を取らされてしまう。78歳で新たな職探しはきつい。職場にいた仲間とも疎遠になり、PLAN75のことをつい考えてしまう日々だ。生活保護を勧める役人に彼女は言う。

 

「もう少し頑張れるんじゃないかと思って」

 

そんなある日、かつての同僚を訪ねたミチは、玄関に鍵がかかったままになっているのを不審に思い、引き戸を開けて入っていく。そこは腐臭が漂い、誰にも発見されないまま孤独死している同僚の姿があった…。

 

監督は早川千絵。これが長編デビュー作。見ていて相模原で起きた障がい者殺人のことが頭をよぎったが、やはりこのように語っている。

 

「私は10年ほどニューヨークに住んで2008年に帰国したのですが、久しぶりに帰ってきた日本では自己責任論という考え方がとても大きくなっていました。社会的に弱い立場にいる方たちへの圧力が厳しく、みんなが生きづらい社会になっていた。それが年々ひどくなると感じていた2016年の夏、相模原の障碍者施設で起きた事件にものすごい衝撃を受けました。こういう社会になってしまったから起こった事件なのではないかと考えるうちに<プラン75>という設定を思いつきました。」

 

ミチはPLAN75に申し込む。すると役所の担当から電話がかかってきて、「その日」まで何日かに一度15分だけ話を聞いてもらうことになる。たった15分の会話でも楽しそうだ。そんなミチはある時、担当者と直に会えないかと頼んでみる…。それにしても、たまに15分会話するだけでこんなに満たされた顔になるのだ。

このプランの巧妙なところは、病気で苦しんで死ぬより楽に死ねるかもしれないと思わせること、そしていつでも中止することが出来るということだ。しかし、このまま制度が続くと、75歳という年齢はやがて70歳、60歳と下がっていくだろう。年齢だけでなく、何らかの能力値をもとにいくらでも設計できるようになる。その時この制度本来の醜悪さがあからさまに顔を出し、やがて覆いきれなくなるに違いない。

 

これは余裕のなくなった今の社会の行きつく先の姿なのか。損か得か、無駄か効率的か、その判断を下すことが、個人の能力の最優先の使い道となって、経済効率性の奴隷のような今の社会の。

映画の終盤、ミチのとる行動は驚くべきものだ。これが希望だという見方もできるが、たったひとりでは社会は変わらないという、ある種の絶望をも示していて心に残る。

 

(ずいぶん久しぶりにアップしました。コンスタントに続けたいなあと思ってはいるのですが。)

 

監督・脚本:早川千絵
主演:倍賞千恵子磯村勇斗河合優
日本・フランス・フィリピン・カタール  2022/ 112分

映画『PLAN 75』オフィシャルサイト 2022年6/17公開 (happinet-phantom.com)

 

ゴヤの名画と優しい泥棒

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ロンドン・ナショナル・ギャラリーで、ある絵画が盗まれた。ゴヤウェリントン侯爵」。1961年のことだ。この絵画は現在の貨幣価値で5億円近くの値がついていた。警察は国際的窃盗団の犯行と断じたが、届いた脅迫状には「絵を返してほしかったら年金受給者のBBCの受信料を免除しろ」と書かれていた。ん?受信料?…実はひとりの市井の老人の仕業だったのだ。実話である。

 

犯人のケンプトン・バントンは、奥さんと次男の3人暮らし。次男は仕事をせず、父親の「受信料免除の署名活動」などを手伝っているようだ。ほとんど誰も署名しないのに、机の前にぼーっと立っている二人の姿も実におかしみがある。


ある時ケンプトンは、受信料不払いで役人が来ると聞いて、慌ててBBCが視聴できないようにテレビを改造する。だが、いくら見てないと訴えても結局は収監されてしまうことに。それも7日も。出所後はBBCが視聴できないのに受信料を払う羽目になって、何とも世間とずれた感じが気の毒だが笑ってしまう。


自身も貧しいのだが、貧しい人たちに対する同情心から行動しているのだ。しかし奥さんはそんな夫に不満だ。当然である。自分が裕福な家の家政婦をして生計を立てているのだ。

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そんなある日、ケンプトンはこれが最後だと奥さんに頼み込み、ロンドンに行って議員に訴えかけることにする。もちろん簡単に放り出されてしまうのだが、おりしもゴヤの名画がロンドン・ナショナル・ギャラリーで展示中だった…。

監督は「ノッティングヒルの恋人」のロジャー・ミッシェル

「世間から何度となく非難を浴びているにもかかわらず、ケンプトンは永遠の楽観主義者であり、活動家でした。私たちは、すべての文化において常に権威にかみついたり、納得しろと言われたあらゆることに疑問を投げかける人々を必要としているんです。」

 

息子と相談して、自宅のタンスの奥に絵を隠していたケンプトンだが、たまたまその部屋に居候することになった長男の嫁に見つかってしまう。その見つかり方がまた笑えるのだが、このことであっさりケンプトンは自首するが…。

 

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世間からどんなにおかしな人間と見られようと、自分は自分以外ではありえない。そのかたくなな強さは時にユーモラスでありながら、時に自分の生き方そのものを考えさせられる力がある。(寅さんみたいな感じですね)

 

裁判でケンプトンは、今の自分の原点となった子どもの頃の体験を語る。ある時引き波にさらわれていくら泳いでも岸に引き返せなかった。ケンプトンは絶対に誰かが助けに来てくれるはずだと信じ、1時間も何もしないで海に浮かんでいたという。果たして助けてくれる人が来た。しかもそれは普段みんなから厄介者と思われていた人間だった。そして言うのだ。

 

「私はあなたなしでは何もできないし、あなたも私なしでは何もできない。あなたは私であり、私はあなたなのです」

 

映画は最後にちょっとしたどんでん返しが待っている。それもとてもあたたかな驚きである。監督のロジャー・ミッチェルは去年9月、65歳で世を去り、これが最後の長編映画作品となった。

 

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監督ロジャー・ミッシェル
主演:ジム・ブロードベントヘレン・ミレンフィオン・ホワイトヘッド
イギリス  2020/ 95分

映画『ゴヤの名画と優しい泥棒』オフィシャルサイト 2022年2/25公開 (happinet-phantom.com)

 

金の糸

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今年で閉館するという岩波ホールに出かけた。以前来た時よりも多くの人が入っているような。気のせいか。しかしこの映画館が閉館することがあるなんて思いもしなかったです。今上映しているのは、ジョージア映画の「金の糸」。

 

年老いた小説家のエレネ。パソコンに文章を書きつけてゆく。時折カメラ目線になり、「いい表現が生まれた」と満足げに語る。今日はエレネの79歳の誕生日だが、誰が祝うわけでもない。ただ60年前の恋人アルチルからの電話を除いては。

 

アルチルは妻を亡くしやもめ暮らしだが、車いすで移動もままならない。エレネも足が悪いため二人の交流は電話のみだ。二人は互いに過去を、そして今の様々な思いを語る。そこには思い出を共有する者同士、かすかに甘やかな感情が行き来している。

 

そこへ娘の姑、ミランダがやってくる。娘は、姑のミランダがアルツハイマーの症状が出て一日中目が離せないから、ここにおいてくれと言うのだ。ミランダはソ連が支配していたころ政府の高官だった。エレネはソ連時代の政府高官というのが気に入らないらしいが、しぶしぶ受け入れる。

 

ある時、元恋人のアルチルがテレビに出ることになり、それを見たミランダが彼のことを覚えていると言ったことから、エレネの感情が爆発する…。

 

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監督はジョージアを代表する監督、ラナ・ゴゴベリゼ。91歳にして27年ぶりの新作だという。

「大げさに聞こえるかもしれないが、それでも私は言いたい。エレネの思考がこの映画の登場人物の1人になることを願う、と。人間の生を形作るのは感情だけでなく、思考でもあるからです。…内省はこの映画のあちこちに散らばっており、さまざまなやり方で視覚的に人格化されている。」

 

この映画は何かエッセイのような作品で、その意味で監督の意図は実現されている。物語の筋はとてもバランス悪く配置され、ただ時間が静かに流れてゆく。

 

エレネの母親はソ連時代に流刑された過去を持つ。歴史上の出来事は、エレネにとって人生にまとわりついた、ほどくことのできない縄のようだ。そして自分自身の生の歴史。

 

「過去は財産よ。どんなに重い過去でも。過去を乗り越えたら未来を楽しむだけ。30でも50でも90でも同じ」(エレネの言葉)

 

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また、タイトル「金の糸」の元になった「金継ぎ」という日本の伝統技術が紹介される。金継ぎとは、陶磁器の欠損を金などで装飾する修復技法だという。

 

「過去に囚われてはいけない。過去を破壊してもいけない。金継ぎして生きてゆくの」(エレネの言葉)

そして監督は言う。

 

「こんな風に過去と和解出来たら…」

 

私はジョージアのことをほとんど知らない。ただここには、欠けてしまったからと言って、決して捨て去ることのできない過去との折り合いの方法、その美しいメタファーがある。

 

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監督・脚本:ラナ・ゴゴベリゼ
主演:ナナ・ジョルジャゼ、グランダ・ガブニア、ズラ・キプシゼ
ジョージア=フランス  2019 / 91分

「金の糸」公式サイト (moviola.jp)

 

国境の夜想曲

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古い城のような建物の中、頭にスカーフを巻いた女性たちが歩いてゆく。ある部屋の一室から女の嘆きの歌が聞こえる。息子をこの部屋で亡くした母親のようだ。

 

お前の気配をここに感じる…

 

かつてここは牢獄だったのだろう。母親が見つめる写真はひどい拷問を受けた男性の写真。

 

お前はここでひどく打ちのめされた

お前はここで拷問を受けた

お前はここで殺された…

 

映画はイラク、シリア、レバノンクルディスタンの国境地帯を3年に渡って撮影したドキュメンタリー。監督は「海は燃えている」海は燃えている  - 映画のあとにも人生はつづく (hatenablog.com) のジャンフランコ・ロージ。きわめて複雑な政治情勢があると思うが、説明は一切なし。国境付近に暮らす人々の息吹というものを、むしろそれだけを伝えている。

 

前作ではまだ、映されている人々がどのような人なのか、どういう考えを持っているかなどの基本的な情報が与えられるが、今回の作品はむしろそのような情報をあえて避けているようだ。日本の映画監督、濱口竜介との対談で、作品を俳句に例えてこう語っている。

 

「国境とは曖昧な線であり、私が出会った人々が抱える葛藤、生と死もはっきりしない薄い線で引かれています。例えば松尾芭蕉のように、観察によって永遠化して情景をとらえるのが俳句であり、引き算の美学と言えます。『比喩のない映画は映画ではない』と私は思っていて、映画言語を伝える上で、俳句のように何を永遠化し提示するかを考えています。」

 

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映像は象徴的に何かを映し出しているが、それが示すものは見る側の意識が反映する鏡のようなものだ。これだけの映像を撮影するのに、どれほどの時間と忍耐が必要だったか。そして情報がない中で聞こえてくるのは人々の声、声、声…。それが圧倒的な印象を残す。

 

息子を亡くした母親の嘆き、イスラム国に殺された家族の絵を描く子どもたちが語る言葉、精神病院でこの地域の歴史を舞台で演じるために、患者が繰り返す台詞。そしてシリアに連れ去られた娘が母親に送り続けた音声メッセージ…。

 

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唯一アップで顔が捉えられている少年は、名前をアリという。おそらくは父親が不在で、母親と幼い弟妹と暮らす。鳥を撃つ猟師のガイドでわずかなお金を稼ぐのみ。アリはある朝再びガイドの仕事に呼び出されるが、待ち合わせの場所に猟師が現れない。不安げにあたりを見回すアリ。アリの体から発散する不安が、この草木のほとんどない土地そのものの不安のようにまっすぐに、見ている私たちを撃つ。そして映画は唐突に終わる。

 

監督・撮影・音響:ジャンフランコ・ロージ

イタリア・フランス・ドイツ  2020/ 104分

「国境の夜想曲」2022年2月11日(金・祝)Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次ロードショー! (bitters.co.jp)

 

香川1区

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去年10月の衆議院選挙。激戦区と言われた四国香川1区を制するのは誰か?この映画は、立憲民主党から立候補した小川淳也(50)に焦点を当て、4カ月間の選挙戦を追ったドキュメンタリーである。

 

香川1区は自民党平井卓也氏(63)の牙城である。3世議員で、地元シェア6割という四国新聞西日本放送のオーナー一族だ。対する小川は特に地盤があるわけではない。東大卒のエリート官僚だったが、日本を変えたいという熱い正義感で政治家になった。しかし2003年の初出馬から15年間で1勝5敗。負け続けである。

 

ただ今回は、その年の4月平井氏がNECに対して「脅しておいた方がいい」と発言したなどのスキャンダルがあり、小川氏に追い風が吹いていた…。

 

監督は大島新。2019年、小川淳也を17年にわたり撮影し、『君はなぜ総理大臣になれないのか』を制作し話題を呼んだ。自分が投票した候補者はなぜ当選しないのか、という疑問から映画を制作したというが、これはいわばその続編で、今回は相手が焦っている分だけその見たくもない裏側がよく見えしまったという結果となった。

 

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取材の中で、平井氏に期日前投票したことを確認する作業が行われていたり、平井氏の演説を撮影しているプロデューサーに、警備員が「選挙妨害だ」と因縁をつけて詰め寄ったり(映画の撮影班は小川陣営と認識しているのだ)、こんなことが今でも、ということが次々に明らかになる。

ただ小川氏もいつもの通り?いっぱいいっぱいの様子。自民党と一騎打ち、と思っていたところへ直前になって維新が候補を擁立するや、焦った小川氏は候補者に直談判し取り下げて欲しいと要請するのだ。それがネットで悪意を持って取り上げられると、大きなバッシングが起きてしまう。

 

心配した政治評論家の田崎史郎氏は事務所に顔を見せ、要請することが間違っているというと、小川氏は勢い込んで「何がおかしいかわからない!」と怒りをあらわに。野党候補を統一しないと自民党は倒せないという大義名分なのだが、自分の票が食われるという恐れも感じたに違いない。映画の最後に大島監督が苦言を呈するが、彼の危うさが露呈した出来事だった。


ただ人柄はとてもいい人に見える。長女はインタビューにこう語っている。

「(父は)アンチの人の意見だからといって、その人の話を聞かないことは絶対無いです。なんかお困りですか?と言って最後まで、時に涙を流しながら聞くと思う」

 

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平井候補は一つ正しいことを言っていた。政治家の評価は結果において決まる、と。この映画を見ていると、彼自身の誠実さを疑いはしないが、次のことがずっと頭から離れなかった。美しい理想や美しい言葉が、結果的に悲惨な現実をもたらした例はいくらでもある。また、熱い正義感が誰かを傷つけることがある―と。だから大島監督も最後に言ったのだろう。候補者本人にしか見えない風景もあるが、本人だから見えない風景もあるのだと。

ただ彼には、この誠実さに投票してみたいと思わせる魅力がある。もしかすると私たちはよく知らないだけで、誠実さと熱意にあふれたこういう政治家が全国に何人もいるのかもしれない。最後に映し出された有楽町の街頭での対話集会で、香川1区で起きたことははやがて日本全国に起きると言った人がいた。何党とか関係なく、そうであればいいのにと思う。

 

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監督:大島新
撮影:高橋秀典

プロデューサー:前田亜紀
日本  2021 / 156分

 

世界で一番美しい少年

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ある老俳優が廃墟の中を歩く。その後ろ姿を追いかけるカメラ。男が世界を席巻した時代に享楽を尽くした建物だ。その禍々しさがひとりの俳優の人生を暗示する。


かつて「ベニスに死す」という映画で、「世界で最も美しい少年」と言われ、世界中の話題を集めた俳優がいた。ビョルン・アンドレセン。監督のルキノ・ヴィスコンティが、オーディションで彼を見いだす瞬間の映像が残されている。ビョルンはなぜか居心地が悪そうで、裸になってというヴィスコンティの注文に明らかな戸惑いをみせる。しかし映画に出演したビョルンは、その美しさで世界を魅了した。

 

それから50年。彼の外見はまるで別人のようになっていた。年齢が刻む以上の何かが彼の体に降り積もっているように。この間何があったのか、この映画はビョルン自身とともに旅をしながら振り返るドキュメンタリーである。

監督はクリスティーナ・リンドストムとクリスティアン・ペトリ。

「『世界で一番美しい少年』は私たちの社会の美に対する執着の物語です。大人の欲望がルールを決める世界に引きずり込まれた若者や子供にどんなことが起こるのか?…私たちは観客の皆さんにこの少年、この子供、あの人間の姿を見てほしいと思います。」

 

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驚いたことの一つはマンガ「ベルサイユのばら」の主人公、オスカルのモデルがこのビョルンだったことだ。作者の池田理代子が登場して、さらさらと描いて見せるオスカルの横顔は、ビョルンそのものだった。ビョルンは「ベニスに死す」の大ヒットのあと日本にやってきて、なんと日本語で歌謡曲を歌うアイドルとしても活躍していた。

 

その後の彼がどうなったのか、ほとんどの日本人は忘れ去っていたが、2019年、「ミッドサマー」という映画で再び目撃することになる。スウェーデンのある村で、年老いた人間は自分で崖から飛び降りて死ぬという風習を描いた場面。老人たちは、下にある巨大な岩に打ちつけられグシャグシャになるが、ビョルン演じる老人は岩に当たり損なって足を折るだけだった。そこへ村の若者が大きなハンマーをもって近づき、彼の顔面を叩き潰すのだ。

 

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人生を探る旅の中で、彼が最も知りたいのは母親のことだった。10歳の時に失踪し、その翌年に自ら命を絶った母親は、ボヘミアンであり芸術家、ジャーナリスト、写真家、モデルでもあったという。


叔母が彼女の電話での会話を録音し残していた。失踪後のその音声で、「自分はこういう自分であるしかない」と切羽詰まったように語る。それを老いたのちに聞くビョルン。こういう自分であるしかない、という『自分』。彼はそれが分からずさまよっているのに。

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「誰かの容姿について世界が強迫観念を持てば、その人物は内側から引き裂かれることもある」と、映画のプロデューサーは言う。彼は15歳で自分を見失い、20代で結婚するも幼いわが子を死なせた。その精神的な負担はどれほどだったかと思う。そして現在。老いた自分を助けてくれる恋人がおり、おそらくはそれほど面倒を見なかったにもかかわらず父親を十分に理解する娘がいる。もし「自分」というものが他者との関わりの中でしか見いだせないとしたら、今の恋人と娘が彼の希望である。

 

そしてこの映画の制作過程そのものが、彼自身を救っているようにも感じた。映画のオファーを受けたときの感想を彼はこう語っている。

 

「じっくりと考えて、こう思った。なんてこった。僕はただの精神的な重圧を抱えた哀れな奴ではないんだ。もしこの映画が誰かにとっての重荷を軽くするものであるとしたら、単なる自己満足的なものというよりもむしろ役に立つものになると思ったんだ。」

 

監督:クリスティーナ・リンドストロム&クリスティアン・ペトリ

製作:スティーナ・ガーデル

スウェーデン  2021/ 98分

映画『世界で一番美しい少年』公式サイト (gaga.ne.jp)