監督・脚本:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ
主演:マリオン・コティヤール
ベルギー・フランス・イタリア/95分
原題「deux jours,une nuit」2014
電話が鳴っている。サンドラは眠っている。目が覚めると慌てて携帯を探り、話を聞きながら泣き出す。泣いてはいけないと自分に言い聞かせながら。
夫と幼い2人の子どもと4人暮らしのサンドラ。精神的な病なのか、しばらく工場を休んだあと、復帰しようとして解雇を言い渡された。不景気のためだ。もしサンドラを雇い続けるなら従業員のボーナスは無し。ボーナスが欲しければサンドラは雇えない。どちらかを従業員自身が選べという。従業員は16人。投票で過半数を得れば働き続けることができる。
今日は金曜。投票は月曜の朝だ。サンドラは渋るが、夫はこれから月曜までひとりひとりに会って、自分を選んでくれるよう頼んだ方がいいと主張する。サンドラにとって、長い週末が始まる。
あなたがサンドラならどうするだろうか。
同僚に向け、ボーナスをあきらめて自分が働くことに賛成してくれと、頼むことができるだろうか。(ボーナスは1000ユーロ、14万円ほどだ。)しかも病気で長期に欠勤していた後のことだ。私ならなかなかその勇気を持てないだろう。だがサンドラは勇気を奮い起こす。そして映画を見てゆくと、確かにこうした行為をしないよりした方がよかったと思えてくる。それは賛成票が増えるとかそういうことでなく、彼女自身と周りの人々に起きる心のありようの変化、というようなもののためだ。
監督はダルデンヌ兄弟。ドキュメンタリーを作っていた経験が根底に息づくのか、社会の片隅で生きる人々に寄り添う目線が映画を形作る。
「映画はいつも同時代の世界を見つめてきた。私たちもそう。自分たちがテーマを選んでいるのではなく、社会の状況やものごと、人物が我々を選んでいる」
映画はサンドラが同僚を訪ね、自分を選んでくれるように話す様子を淡々と写しだす。同僚の反応はさまざまだがごく自然なものだと思う。サンドラは決して説得しようとはしない。ためらいがちに自分の希望を述べるだけだ。ただ、否定的な意見を聞くたびに落ち込んでいく。ある男性は「病み上がりの人間を選択するものはいない」と言い放つ。サンドラは「自分は何者でもない」と絶望すら感じ始めて…。
ダルデンヌ兄弟はインタビューでこう答えている。
「サンドラが体調不良で休んでいたことを思えば、周りから弱い人間であると思われてしまうかもしれません。しかし、その彼女が実は他の人を変える力を持っているし、自分自身をも変える力を持っていたのです。…いわば、この作品は弱さや脆弱さに対する礼賛であると考えています。」
考えてみれば、自分はサンドラがしたようなことは出来ないと考える根拠は、ちっぽけなプライドに過ぎない。そうして欲しいならそのようにしてほしいと意見表明すればいいのだ。そのことは周りの人間を不快にすることもあるが、そうしなければ何も始まらないし、終わらない。その小さな行為が起こす波紋が自分の存在証明ですらあるのだ。サンドラの病と付き合ってきた夫のマニュは、そのことを誰よりも分かっていたのかもしれない。
夫の助けを借り悩みながら進むサンドラ。バスの中、夫の車の中、ぼんやりと何かを見つめるマリオン・コティヤールの表情が圧巻である。
公式サイト
http://www.bitters.co.jp/sandra/
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