映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

岸辺の旅

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ひとり暮らしのピアノ教師、瑞希がひとり「しらたま」を作っている。何か目に見えぬものが背後にいると感じる。見ると3年間失踪していた夫がそこに立っている。瑞希は驚くでもなく言う。「おかえりなさい」と。しかし夫は、実は自分は「死んでいる」という。自ら死を選び、体は海の中で蟹に食われたのだ、と。

 

この世とあの世を分ける川の岸辺に、死んだ者たちがさ迷い歩く。何事か、思いをこの世に残した死者が、ふいに現れる。生きている者たちの背後に―。不思議なことではないのかもしれない。この世の現実と思ってみている事柄は、みな幻かもしれないのだ。

 

3年もの間、なぜ瑞希の前に姿を見せなかったのか。夫の優介は瑞希を連れ、その間自分がたどった道筋をもう一度たどりなおそうとするのだが…。死者と生者の交流は映画としては珍しくないかもしれない。ただ、この作品はそこに妙な生々しさがあり、それがかえって深い余韻を残すことに成功している。                        

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監督は黒沢清。原作は湯本香樹実の同名小説。この作品はカンヌ映画祭ある視点部門で監督賞を受賞した。

 

「原作にある『死んだ人のいない家はない』という言葉に支えられて撮影していました。考えてみると、死んだ人はたくさんいるんです。死者とともに私たちは生きている。そういうことは感覚として分かっているけれど、誰もよくよく考えたことはない。今回のドラマを通して『死者とともに生きる』意味と実感が少しでも伝わるといいなと思います。」

 

優介はとある田舎の町の新聞配達店、街道沿いの中華料理屋、山奥の農家、様々な場所に瑞希を連れてゆく。死んでからこの世を彷徨い、世話になった人々を再訪してゆくのだ。そこでは、死んだ者と生きているものとが、絡まりあった縄のようにお互いを縛りあう姿が描かれる。もがきながらあえぎながらそれでも生者は生き続ける。

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パソコン修理に精を出し、餃子を器用に作り、村人に宇宙の秘密を語る優介。瑞希は自分の知らない夫の姿を、驚きをもって見つめることになる。二人並んで歩きながら瑞希はつぶやく。

「今が一番好き」

しかしそれは優介にとっても、自分の知らない自分だったのではないだろうか。エリート歯科医として大学病院で働いていた優介は、もしかすると死後に、ありえたかもしれない別の人生を見てしまったのだ。それは後悔なのか、希望なのか。瑞希に本当の自分はこうなのだと伝えたい、その思いが優介にこの世の岸辺を歩ませている。

 

「途方もない話ですが、死んでみてようやく、自分はこういう人間だったのか、彼女ってこんなひとだったのかと納得するのって、とても自然な流れだと感じたんです。死んだあともずっとふたりの関係は続く。終わりは終わりではない。永遠に何かが続く、その始まりでもあると思います。」(黒沢清

 

表面がどんなに穏やかであろうと、自らの内なる声に逆らわない人は、強い。それがどんなにばかばかしいものに見えても、自らの大切なものを手放さない人は、幸せである。瑞希を見てそんなことを考える。

 

人はなぜ生まれてきたかを知らず、なぜ死んでゆくかも知らない。それでも生き続けることに、ほんの少しの勇気と、生きていることの愛おしさを感じさせてくれる映画だと思う。

 

監督黒沢清

脚本:宇治田隆史・黒沢清

主演:深津絵里浅野忠信   

原作:湯本香樹実 「岸辺の旅」(文春文庫)  2015/128分

 

公式サイト

http://kishibenotabi.tumblr.com/