映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

ディーパンの闘い

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スリランカの森の中、仲間の遺体を荼毘に付す男―。少数民族圧迫に抵抗する反政府組織の兵士だ。闘い敗れ、妻も子も失った男の名は、ディーパン。彼はやがて故郷を捨てフランスに渡る。見も知らぬ女性と、親を失った女の子を連れて。3人は疑似家族を作り、難民として暮してゆくつもりなのだ。

 

フランスで彼にあてがわれた職は、郊外団地の管理人だ。3人は慣れない暮らしを続けていくうち、少しずつ心が通い合うようになる。しかし、その団地はクスリの密売人の巣窟で、無法地帯となっていた。ある日、白昼堂々と銃撃戦が展開され、(偽の)妻ヤリニは、そこから逃げ出そうとするのだが…。

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監督は「真夜中のピアニスト」、「預言者」のジャック・オディアール。

「第二の家族、新しい人生というのは映画にとってとてもポピュラーなテーマだけれど、なぜ自分がそこに惹かれるのかはわからない。ただ家族というより、むしろ新しい人生を持つというアイデアに惹かれるのだと思う。」

 

妻のヤリニとディーパンは最初お互いを探りあうようだったが、やがてディーパンが彼女を求めるようになる。しかし、ヤリニは「嘘」の状況に耐えられない。好意を持ったクスリ密売人にヤリニはタミル語で語る。「すべてが嘘なのよ。」と。次第に饒舌になるヤリニ。「本当の夫ではない。本当の娘ではない。私たちは家族ではない」。タミル語は声に出しても異国では心の中の呟きだ。

 

「見ず知らずの人間同士が、互いをわずらわしいと感じながら、どのようにして家族の生活を体験してゆくのか、疑似家族がどうやって本物の家族になるのかを描きたいと思うようになったんだ。」

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オディアールは最初、「わらの犬」のリメイクを構想していたという。サム・ペキンパー監督の「わらの犬」は、おとなしい大学教授が周囲の暴力性に飲み込まれて狂ってゆく物語だ。

わらの犬」は老子の言葉、

 

「天地は仁ならず 万物を芻狗となす」

(天地自然は非情で、すべてのものをわらの犬のようにあつかう)

 

から採っているという。

今回まったく違うものになったのだが、唯一似ているのが置かれた状況の異様さである。置かれた状況にあわせて人は行動しなければならない。状況を選ぶことが出来ないという意味で「天地は非情」である。                     

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わらの犬」も本作も非情を暴力によって克服しようとするのだが、オディアールはそこに「希望」を描きこむ。「嘘」からも「暴力」からも「希望」が横溢する。それがディーパンという男であり、オディアールの人間を見つめる眼の優しさだろうと思う。

 

監督・脚本:ジャック・オディアール

主演:アントニーターサン・ジェスターサン

原題「DHEEPAN」

フランス映画 2015 / 115

公式サイト

http://www.dheepan-movie.com/