薄もやの桜並木の向こうからヘッドランプが近づいてくる。やがて車が現れると、防護服に身を包んだ人たちが降りてくる。原発関係の作業員のようだ。そこでカットが切り替わる。どこかの町の空撮。小さな部屋で目覚める女性。冷蔵庫から水を飲むと、炊けたばかりのご飯を小皿によそい、立てかけた写真の前に置く。
福島県いわき市。金沢みゆきは仮設住宅で父親と二人暮らし。母親を津波で亡くしている。みゆきは市役所に勤めているが、父親の修は補償金をつぎ込んでパチンコ漬けの毎日。修は酒を飲むと、秋田出身の母親をこの町に連れてきたことを悔やむ。
「俺と一緒にならなきゃ、秋田で幸せに暮らしていたはず…」
みゆきは土曜になるとバスで東京に出かける。見るともなく車窓をながめるみゆきの物憂げな表情。朝の美しい雲が広がる。いつまでも車窓を眺めつづける。東京でのみゆきはデリヘル嬢だ。なぜ?という疑問が映画を駆動させる。
監督は「さよなら歌舞伎町」の廣木隆一。みゆき役は瀧内公美。瀧内はインタビューでこう答えている。
「これであってるのか。正しいのか。自分でもわからない道を揺られながら向かっている。でも、東京から帰ってくるときは、これからもまた、こんなことを繰り返すのかな?と思っている。でも、自分は生きている。それを感じるバスの時間でした。女性として。人間として。バスに乗っている時間は、生きている自覚を持つ時間でした。」
パチンコで日々を過ごす人、原発の汚染水処理を仕事にして周囲から白い目で見られる夫婦、被災者に壺を売りつけようとする男…、出てくる人たちはマスメディアではほとんど取り上げられることのない被災者だ。どう捉えていいのかわからないのでメディアが目を留めない、「素」の人間。みゆきも表向きには、東京の英語学校に通っていることになっている。
みゆきは震災後に、それまで付き合っていた恋人と別れたらしい。
「こんな時、デートなんてしていていいのかな?」
と言った彼の一言で。
もしかするとみゆきは、生き残っている自分に負い目を感じていたのかもしれない。だからこそ自らを傷つけるためにデリヘル嬢になった。ならなければならなかった…。映画を観てそう思ったのだが、瀧内公美のインタビューを読んで、違うのかもしれないと感じた。
もう少しポジティブな感覚、生きることに貪欲な本能、強い生命力。瀧内はデリヘルについてこうも語っている。
「自分を傷つけるところもあるかもしれない。でも、傷つけるだけじゃなくて、何かを取り戻す、そういう仕事でもあるんですね。」
廣木隆一は飾りのない女性を描くのがうまい。「素」といえるような「女」。しかしなぜ?という問いの答えは誰にも分からない。だからみゆきの、何か思いつめるような表情をじっとみつめてしまう。監督も同じなのだろう。彼女を遠くからみつめ「君の人生は間違いじゃない」とつぶやく。そのつぶやきが映画を包み込んでいる。
物語の終盤、朝帰りしたみゆきが父親に「朝ごはん作ろうか」とたずねて米をとぎ始めるシーンがある。人生の何気ない習慣が、その人を救うかもしれない希望を感じさせる、とても美しい場面だと思う。米をとぐその音が、見終わっていつまでも心に落ちてくる。
監督:廣木隆一
主演:瀧内公美、高良健吾、柄本時生
原作:「彼女の人生は間違いじゃない」廣木隆一著 河出書房新社
日本映画 2017/ 119分
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