韓国の片田舎。やがてダムができて村は水没する運命にある。そんな村に、嫌われ者のキム・インチョルが数年ぶりに帰って来る。賭場や酒場、行く先々で面倒を起こす。高校生の娘が大学の学費にと貯めていた貯金にも手を付ける。ある時、飲み屋で喧嘩し殴られた相手が、詐欺で指名手配されていることを知る。
その男の後をつけてみると、最近村に建てられた大きな教会に入ってゆく。そこで男は若い牧師と一緒に、車いすの人間が立ち上って歩く「奇跡」を演じていた。「そいつは詐欺師だ!」と叫ぶインチョル。しかし村人は誰一人その言葉を信じようとしない。それどころかみな、水没後に建設されるという「祈祷院」のために、ダムの補償金をつぎこんでいる。
男の仲間は、必死で訴えるインチョルを半殺しの目にあわせる。若い牧師は騙されていることを薄々感じながら、何も言うことが出来ない。翌日、詐欺師の男は大学を諦めたインチョルの娘に、学費を出してやる…、とささやくのだが。
監督は「新感染 ファイナルエクスプレス」のヨン・サンホ。「新感染」は実写映画だが、ヨン監督はもともとアニメーション作家だ。2013年に作られたこの作品もアニメ映画である。
「当初の企画から、『真実を語る悪人』と『偽りを言う善人』の対決を描くのが目標でした。私たちはしばしば、ある人が真実を語っているにもかかわらず、その語っている人のイメージが自分が望むものと違っていたり、自分が認めることのできない悪人であったりする時、彼の言葉を嘘とみなしてしまいます。逆に語っている人が善人だという理由で、彼の話をすべて真実だと思ったりします。これが、人が間違った信念を持つようになる契機だと思いました。」
娘は詐欺師の男のいいなりになって、町のいかがわしい飲み屋で働く。半狂乱のようになって娘を連れ戻すインチョル。「騙されている!」と言い募る父親に娘はこう答える。
「神に愛されていると言われた。人は神に愛されるために生まれてきたの。そうでないなら何で生きているの?」
人はなぜ生きるか、その答えは普通には簡単に得られない。しかし宗教はその答えを与えてくれる。そこにつけこまれるスキができるのだろう。ただ生きている意味を探すのは人間の性ではないだろうか。娘の質問に対するインチョルの答えはこうだ。
「運命だからだ」
そこには、「人はなぜ生きるか」という問いを拒否する強い思いがあるように感じられた。
そもそも騙されることは不幸なのか。インチョルの弟分の妻は病気で寝込んでいたが、教団の売る「奇跡の水」を飲み続け、天国に行けるようにと献金を急ぐ。はたから見れば騙されているわけだが、彼女が亡くなったとき、その死に顔の穏やかさに夫は感動する。このように穏やかに死ねるのは、信仰のおかげだというわけだ。自分たちのお金をつぎ込むだけだ。誰もそれを責めることはできない。ウソでも幸せをもたらすことが出来る。
映画は終盤になって怒涛の展開を見せる。善人に見える人は本当に善人か。悪人に見える人間は悪人なのか。何が善で何が悪か。真実とは?嘘とは?ーその混乱の中で、自分は何を拠り所に生きていけばいいのか、深く考えさせられる。失意のインチョンは最後にこうつぶやくのだ。
「俺は真実を言っただけなのに…」