映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

否定と肯定

f:id:mikanpro:20171217211119j:plain

1994年、アメリカジョージア州。「ホロコーストの真実」を書いた歴史学者デボラ・E・リップシュタットの講演が行われている。そこに乗り込んできたのが、ホロコースト否定論者のデヴィッド・アーヴィングだ。本の副題からして乗り込んできそうだ。「大量虐殺否定論者たちの嘘ともくろみ」。アーヴィングはリップシュタットを逆に嘘つき呼ばわりし挑発するが、彼女は「否定論者とは議論しない」と相手にしなかった。

 

アーヴィングは千ドルの札束を振りかざして聴衆に叫ぶ。

 

ヒトラーユダヤ人殺害を命じたと証明できるものにはこれをあげよう!」

 

2年後、アーヴィングはリップシュタットを名誉棄損で訴える。彼女は迷った末に受けて立つことにし、歴史的な裁判の幕が上がる。

 

監督は「ボディガード」のミック・ジャクソン。これは事実を基にした映画で、主人公の歴史学者デボラ・E・リップシュタットが書いた裁判の記録を下敷きにしている。

 

「これは“信頼すべき歴史学とは何か?”を問う裁判でした。私たちはアーヴィングの膨大な日記から差別的な言動を探り、彼の著作の注釈の出典をしらみつぶしに調べ、アウシュビッツの現地調査も行い、彼の虚偽を暴いていきました。歴史家は事実に対して独自の解釈をする権利はありますが、事実を故意に歪めて述べる権利はないのです。」(リップシュタット)

                       f:id:mikanpro:20171217211202j:plain

映画ではリップシュタットの人間味も素直に描き出し、弁護団との確執などドラマに潤いを与えている。彼女は法廷でアーヴィングと直接対決したいのに弁護士に阻まれ、ホロコーストの生存者に証言させたいのにそれも断られてしまう。もちろんそれぞれ理由があるのだ。裁判の途中、あることからロンドンの弁護士を信頼するようになった彼女は、食事しながらこんなことを言う。

 

「私は自分の良心だけに従って生きてきたの」

 

でも、と彼女は暗に言う。でもあなたたちは、その生き方を変えろ、と言っている。今回はあなたたちに委ねる。この裁判は負けるわけにはいかないからだ、と。

 

「負けてしまったら嘘が世界に出回ることになる」

 

f:id:mikanpro:20171217211327j:plain

それにしても自分の考えに合わないものは事実の方を曲げてしまえばいい、というのは随分と安易な話ではないだろうか。いったい誰に向かって何のためにこんなことをしているのか。逆にアーヴィングの内面を描いてみては、と思うほどだ。(それを描く事は、議論に値し得ることを認めることになり、できないのだろうか。)

 

昨今のアメリカではないが、嘘も言い募れば一定数信じる人が出てくる、というのは昔から戦略としてあるのかもしれない。リップシュタットはこうも語っている。

 

「人はよく“事実”と“見解”があり、両者は違うといいますが、私は“事実”“見解”“嘘”の3つに分けられると思っています。アーヴィングのような否定論者は“嘘”を“見解”として発信し、それを“事実”のように見せかける手法をとります。」

 

                      f:id:mikanpro:20171217211422j:plain

4年後、長い戦いが終わり判決が下る。生存者に法廷で証言する場を与えることが出来ず、悔しい思いを抱え続けた彼女は判決の後このように言う。

 

「生存者と死者に言いたい。あなたたちは記憶される。苦しみは伝えられた。」

 

一方その数日後、テレビのニュース番組でアーヴィングが語った言葉を想像できるだろうか。それこそが、アーヴィングをアーヴィングたらしめているものとして、かすかに戦慄を覚える。

 

監督:ミック・ジャクソン
脚本:デヴィッド・ヘア
主演:レイチェル・ワイズティモシー・スポール
イギリス・アメリカ 2016/ 110分

公式サイト

http://hitei-koutei.com/