映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

願いと揺らぎ

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観音像のように見える枯れ木が一本、海沿いの集落に立ちすくんでいる。その集落は津波に洗われ、ほとんどが流されてしまった。ひとりの老婆が何もかもなくなった場所で、かつてあった自宅を案内する

 

「あそこがお勝手口、…ここが玄関か…」

 

宮城県南三陸町、波伝谷。80軒あった集落は1軒を残し壊滅した。この集落では毎年3月、春を迎えるための行事「お獅子さま」が毎年行われていた。この年2011年はそれを2日後に控え、震災が起きた。

 

震災から半年余り、「お獅子さま」を復活したいと集落の若者が提案。人々は「契約講」と呼ばれる村のリーダーたちを中心に動き始めた。この映画は、「お獅子さま」復活に向けて揺れる人々の思いを記録したドキュメンタリーである。


提案した若者には、「支援」に頼らず自分たちの力だけで実現したいという強い思いがあった。しかし村の長たちは、現実的な選択として「支援」を募る方針で進めた。それぞれに微妙な食い違いが生じる。しかしどちらが正しいのか、議論されることはない。感情に亀裂をのこしたまま、「お獅子さま」の日が近づいてくる…。                                                                       

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 監督は我妻和樹。大学の民俗調査で波伝谷に入り、卒業後、この村を記録に残そうと映画製作を始めた。その3年間の記録は震災までを一区切りに、映画「波伝谷に生きる人々」としてまとめられた。この映画はその続編というべきものである。

 

「波伝谷の人びとにとって『土地とともに生きる』『地域とともに生きる』ということが一体どういうことなのか。それを現地に実際に生きている当事者たちの視点から深く見つめていくことによって、今自分たちが生きているこの時代について、人と人とのつながりについて、足元から見つめなおすことができるのではないか。それがこの12年間、僕が波伝谷での映像記録を通して問い続けたテーマであった。」

 

何の予備知識もなくこの映画を見た。印象深いのは監督と取材相手との距離感である。カメラは監督が持って撮影しているのだろう。インタビューでは頻繁に監督の「はい、はい、」といううなづきの言葉が入る。それが大抵の場合、取材相手の声よりもクリアに聞こえる。

 

いやその声が印象に残るのは、クリアに聞こえるせいではない。相手の話を真剣に受け止めましたよ、というのが伝わる「はい、はい、」なのだ。つまり話を聞く人への敬意が伝わり、とても気持ちが良い。そしてカメラは監督自身の目になり切って動き回る。波伝谷の人びとを記録しているのだが、監督のセルフドキュメンタリーのようでもある。

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そのことが如実に現れるのが、厄除けの飲み会の席のことだ。監督は自身も飲まされ少し酔ったのかもしれない。ケンイチさんという人に熱っぽく語りかけている。「お獅子さま」復活を言い出したのが若い世代だということに自分は感動している、あなたはどう思うのか、ということをしきりに聞いている。

 

相手が話し出そうとしているのに覆いかぶすようにして話し続ける監督。その光景は取材と考えるとヘンな感じなのだが、しかしケンイチさんはそのことに深く同意し涙ぐむ。そして、このやりとりの一連に少しも嫌味がない。こういうのを人徳というのだろうと思う。

 

この監督はもともとこういう作風なのか、前作のDVD「波伝谷に生きる人々」を帰りに買って見てみた。確かに同じだ。映像に映っているのは波伝谷の人びとだが、描かれているのは監督との距離である。その方がおそらくは、対象を客観的に描くよりも多くのことを感じさせている、ということも変わらない。                   

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今回の「願いと揺らぎ」では、「お獅子さま」復活を唱えた若者にインタビューができないまま、その日を迎える。彼はこの復活をどう考えているのか。その日から5年近くがたって、監督は彼の家を訪ねる…。

 

なぜ5年なのか。実に不思議な年月がたってしまう。決して短くはないどころか、かなり長い。彼がそれまで口を開いてはくれなかったということなのかもしれない。編集を始めるのに時間がかかってしまっただけなのかもしれない。しかしこの場面で、私たちは震災から今に至る年月を考える。そしてその映像の不在が、5年という年月の重みを改めて想像させるのだ。私たち自身の5年間も含めて。

 

監督・撮影・編集:我妻和樹
製作・配給:ピーストゥリー・プロダクツ
日本映画 2017/ 147分

公式サイト

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