赤茶けた土地に灌木が茂り、サボテンが立ち並ぶ。そこに大きなリクガメがゆっくりと横切ってゆく。アメリカ南西部。90歳でひとり暮らしの男の一日がまた始まる。ゆっくりとしたウォーミングアップを行い、冷蔵庫に冷やしたグラスのミルクを飲み干す。そして再びグラスにミルクを注ぎ冷蔵庫に戻す。明日のためだ。
男の名はラッキー。いつもの喫茶店でコーヒーを飲み、クロスワードパズルを解く。ある時「現実主義」という言葉が出てくる。
「現実主義はモノなのか?」
辞書で調べると「状況をありのまま受け入れる姿勢や行動と、ありのままの状況に対処する心構え」と書かれてある。ラッキーは夜行きつけの飲み屋でマスターに「現実主義」について説明する。
「目に見えているものが現実ってこと?」
ラッキーは答える。
「そうだがお前の現実と俺のは違う」
同じ日々が続くある朝、ラッキーは突然気を失う。病院で検査を受けるが何も異常はない。医師は加齢のせいだというが、ラッキーはこれまで考えなかった「死」について考え始める…。
監督はジョン・キャロル・リンチ。初の監督作で、脚本は主役の俳優ハリー・ディーン・スタントンに当て書きした。ハリー・ディーン・スタントンは「パリ・テキサス」などで知られる名優。ラッキーのキャラクター造形や辿ってきた人生(例えば沖縄戦経験など)は、ハリーとほぼ同じだという。
「老いや、人生の終盤を生きることをテーマにした映画でよくある、過去を振り返って、かつての恋人に詫びたり、過ちを正したりするような映画にしたくなかった。一人の男が自分をどう見つめるかを描きたかった。しかも、神や天国という“第二幕”といった安心材料なしに生きる姿をね。ハリーの人生はまさにそうだった。」
偏屈な男である。自分は自分であり、他人は関係ない。この姿勢を貫くためにどれだけ強くなければならないか。あるいはどれだけ鈍感でなければならないか。映画はラッキーの老いた日々を、凡人には到達できない数々の名セリフを交えながら淡々と綴る。
曰く、「孤独とひとり暮らしは意味が違う」
曰く、「つまらん雑談なら、気まずい沈黙の方がマシだ」
曰く、「人はみな生まれる時も、死ぬ時も一人だ。“ひとり(alone)”の語源は“みんなひとり(all one)”なんだ」
ラッキー(ハリー)はとにかく“ひとり”にこだわる。パンフレットに1989年のインタビュー記事が採録されていて、その中でこんなことを語っている。
「一人が皆、一人ずつであるということ。あらゆるものも含めて。だからつながろうとすること。映画も、良い作品は皆、そのことに意識的だと思う。そのことで生命を肯定する方向に人を動かそうとするのが良い映画なんだ。」(雑誌「SWITCH」1989.12)
そんなハリーにも悩みがあった。暗闇や空虚を恐れていたというのだ。同時に「死」を恐れていた。先ほどのインタビューで、ハリーはこうも語っている。
「死を恐れないようなところまで行きつくことができるかどうか。このことが一番大きな問題じゃないかと思う。」
映画の終盤、ラッキーは行きつけの飲み屋でタバコを吸おうとしてオーナーから注意される。「この店は私が管理しているの」と。するとラッキーはこう言い放つ。
「すべてはなくなる。君もお前もあんたも俺も、タバコも何もかも、真っ暗な空(くう)へ。管理するものなどいない。そこにあるのは無だけだ。」
オーナーのベスが問う。
「すべてが無だとしたらどうするの?」
しばらく沈黙した後、ラッキーが答える。
「〇〇するのさ」
「死」や空虚を恐れていたラッキー(ハリー)が出したこの答えが、彼の到達点である。この映画を最後に、名優ハリー・ディーン・スタントンは2017年9月、91歳で亡くなった。
監督:ジョン・キャロル・リンチ
主演:ハリー・ディーン・スタントン、デヴィッド・リンチ
アメリカ 2017 / 88分
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