若者がトラックの荷物を担いでソウルの街をゆく。カメラが後ろから追う。にぎやかな通りをどこまでも追う。スーパーに入ってゆく若者ジョンスは、店の前でキャンペーンガールをしている幼なじみの女性、ヘミに声をかけられる。ヘミは「整形したので気づかなかったでしょ」という。どちらも若く貧しいように見える。
パントマイムを練習しているというヘミは、ジョンスの前でミカンの皮をむいて食べてみせる。
「うまいもんだな」
「秘訣はね、ミカンがあると思うのじゃなく、ミカンがないことを忘れるのよ。」
ヘミはアフリカ旅行に行くから留守の間、猫の世話を頼みたいという。玄関を入ると狭い一部屋だけのアパート。一日のうち、ある一瞬だけ日光が差し込む時間がある。肝心の猫は姿を見せないまま、ジョンスは壁にあたるその光を見ながらヘミを抱く。だが、アフリカから帰ってきたヘミは、年上の男を連れていた…。
監督は「オアシス」のイ・チャンドン。来日記者会見でこう語っている。
「最近の映画はシンプルな作りが多く、観客もそれを求めて慣れているような気がします」「しかし私は今作で、その流行に逆行したいと思いました。この映画を通して観客に対して、生きるとは何か?世界とは何か?を問いかけたかった。観客にはこの映画を通して新しい経験をしてもらい、世界のミステリーを感じてほしかった」
一緒に帰ってきたベンは、なぜかありあまる金を持つ若者で、ヘミは彼のもとを頻繁に訪れるようになる。ある時、ベンとヘミは連れ立ってジョンスの実家を訪れる。そこはヘミの故郷でもある。夕暮れ、ヘミが酔って寝てしまうと、ベンは自分の趣味は古いビニールハウスを焼くことだと語る。
「韓国にはビニールハウスが多い。役立たずで汚くて目障りなビニールハウス。僕に焼かれるのを待っている気がします。」
2か月に一度くらいの割合で焼いているが、ここに来たのはちょうどよいビニールハウスを探すためで、そろそろ前回から2か月がたつ―。
ジョンスはその話にショックを受け、翌日から自分の周囲のビニールハウスを監視して回るが、焼かれた形跡は一切ない。しかし、その時からヘミと連絡が取れなくなる。
原作は村上春樹の「納屋を焼く」という短編で、監督はこうも語っている。
「最近の若者たちは、競争というベルトコンベヤーに乗せられ、走りつづけなくてはならない恐怖を感じている。役に立つか、立たないかで人間の価値を決める世の中への怒りがある。『納屋を焼く』にその怒りと通じるものを見出した。」(朝日新聞)
ヘミはどこへ行ったのか。ビニールハウスは何かのメタファーか?ジョンスはヘミを探し続けるが…。
アフリカでは、食べ物に飢えている人間はリトルハンガーと呼ばれ、「生きる意味」について飢えるものはグレートハンガーとよばれているのだという。ヘミはグレートハンガーに会いにアフリカを訪れたのだ。
借金取りに追われ、故郷にも帰れなかったヘミ。生きる意味があるのかと自らに問い続けたに違いない。しかしパントマイムは教える。ミカンを食べるパントマイムを上手に行うには、ミカンがないことを忘れること。この現実を上手に暮らす秘訣は「生きる意味」がないことを忘れることだ。
不在を忘れ、パントマイムを踊り続ける若者たちの現実。しかし踊り続けるうち、ヘミとベンはどこか現実から遊離しているように見えてくる。
ヘミがいなくなってジョンスが生きていくためには、ヘミがいないことを忘れなければならない。それができないジョンスは、不在に対する怒りを爆発させる。現実から遊離したものたちと対峙するために驚くべき行動に出る。この世界に生きる意味があると感じ、そのことを忘れられない不器用な人間なのだ。
ジョンスの実家は北朝鮮との国境近くにあり、北朝鮮の宣伝放送がいつも鳴り響いている。ヘミに会った最後の日、実家の庭でヘミは上半身裸になって踊る。夕日が沈んだ後の、逆光に映える暗い影のような体がたとえようもなく美しい。
監督:イ・チャンドン
脚本:オ・ジョンミ、イ・チャンドン
主演:ユ・アイン、スティーブン・ユァン、チョン・ジョンソ
原作:「納屋を焼く」村上春樹
韓国 2018 / 148分
公式サイト