レバノンの法廷。12歳のゼインは、原告として法廷に立ち、被告の両親をかえりみることなくはっきりと述べる。
「両親を訴えたい」
「何の罪で?」
「ぼくを産んだから」
ゼインは誰かを刃物で刺し、少年刑務所に収監されている間にこの訴えを起こした。12歳という年齢は推測だ。彼には出生を証明する書類はなく、両親もろくろく覚えていない。物語は裁判の進み行きを軸に、ゼインが法廷に立つことになるまでを描いてゆく。
子だくさんの大家族。子どもたちは学校にも行けず、路上での物売りが日課だ。アパートの家主からは雑用でこき使われる。ゼインはすぐ下の妹のサハルをとりわけかわいがっているが、初潮を迎えると家主に無理やり嫁がされてしまう。まだ11歳くらいだ。
行かせせまいと必死に抵抗するゼインだが、大人の力にはかなわない。ゼインはそのままひとり家を飛び出しバスに飛び乗る。たどり着いたのは遊園地だった…。
監督はレバノンのナディーン・ラバキー。原題の「カペナウム」は混とん、修羅場の意味だという。リサーチに3年かけた。ある日の夜中の1時ころ、物乞いの女性の胸で寝かけている子供が見えた。
「彼の目がとしていくイメージが頭から離れなくて、帰宅した後、その残像をどうにかしたいと思った。そこで、大人に向かって叫んでいる子供の絵を描いたの。自分からすべての権利を奪っていく世の中に自分を産み落とした親を憎んでいるかのように親を罵倒している子供の顔をね。」
ゼインは遊園地で、レストランで働く女性ラヒルと出会う。ラヒルはエチオピアからの移民だが、不法滞在で赤ん坊の存在も隠している。ゼインにバラック小屋の家で面倒を見てもらうことにしたのだ。
赤ん坊の誕生日に、レストランから隠れて持ち出したケーキで祝う3人。ゼインにとってはこの小さなバラックのなかが初めての安息の場所だったかもしれない。ところが、ある日ラヒルは市場に行ったまま帰ってこなくなる。赤ん坊を連れて途方に暮れるゼイン。
「うちの親よりひどい」
ゼインには分からなかったが、ラヒルは不法就労の疑いで警察に捕まってしまっていた。ラヒルに責任があると言ってしまうと厳しすぎるだろう。しかし移民や難民をそうした状況に追い込んだ社会には責任が生じる。その社会はひるがえって考えると大人が作り出したものではあるのだ。
映画は時々裁判シーンに戻ってくる。ゼインの「ぼくを産んだから」という言葉には続きがある。
「面倒が見られないなら、子どもを産むべきじゃない」
この裁判の時、ゼインの母親はお腹に新たな子を宿していて、ゼインの訴えはそれを知ったことがきっかけだったのだ。
こうした裁判が果たして現実に可能なのかどうか分からない。しかしこの設定によって二つのことが可能になった。ひとつは母親の言い分を裁判で語らせることが出来た。ゼインの母親は、監督であるラバキーが演じる弁護士に向かってこう叫ぶ。
「あなたたちに私たちの苦しみの何が分かるの!?」
ラバキー監督はインタビューでこう答えている。
「子供たちの権利を放棄した母親たちと直面した時に、無意識に彼女たちを非難している自分がいた。しかし、彼女たちの物語を――彼女たちが生きてきた地獄のような日々や、不器用さと無知さゆえに自分の肉親に対して酷い不正を働いてしまった事実を知れば知るほど、打ちのめされる気持ちになった。だからこそ、私のように自問自答することが大事なのよ。『彼女たちの生活を何も知らないのに、彼女たちを憎んだり裁いたりする資格が自分にはあるだろうかってね。』」
そしてもうひとつは、社会に存在しないことになっていたゼインが、その存在を証明させることが出来たことだ。映画は、その証明書の写真撮影で終わる。その写真に映るゼインのぎこちない笑顔は、監督の未来に対する願いを映し出してハッとさせられる。
監督・脚本:ナディーン・ラバキー
主演:ゼイン・アル=ラフィーア、ヨルダノス・シフェラウ
レバノン・フランス 2018 / 125分
公式サイト