映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

人生をしまう時間

f:id:mikanpro:20191030213013j:plain

埼玉県新座市。とある病院の二人の医師が、終末期を家で暮らす患者を訪問診療している。その半年余りに及ぶ記録である。

 

「帰りたい。どんなぼろい家でもね」

 

91歳のおばあちゃんがそうカメラに向かって言う。古い日本家屋に戻ってきたその冨子さんの最期の時を家族が見守る。カメラはその様子を撮り続ける―。

 

それにしてもさまざまな家族がいる。映画は医師の活動を追うというより、その活動の先に見えてくる、診療を受ける家族それぞれの物語が紡がれてゆく。

 

訪問診療をする二人のうち一人は小堀鴎一郎さん。かつては東大病院の外科医だったが退職後、在宅医療を始めた。年齢は80歳だが矍鑠としている。ざっくばらんな語り口と人当たりで家族と打ち解ける。森鴎外の孫だそうだ。もう一人は50代の堀越洋一さん。この人も外科医だったが、国際医療協力を経て在宅医療に取り組んでいる。少し若いせいなのか物腰柔らかく丁寧な印象を受ける。ある意味対照的な二人だ。                                    

                                                                          f:id:mikanpro:20191030213210j:plain

例えば堀越医師が訪れる金子賢子さん(85)は、この1年、2階から降りてきたことがないという。夫の菊雄さん(82)が、ほとんど動けなくなった身の回りの世話をすべて行っているのだ。賢子さんは、そんな菊雄さんの世話になりながら明るい笑顔を絶やさない人だった。

 

「珍しいでしょ、こんなひと。私みたいなダメなババアをこんなに面倒見てくれる人がいるなんてねえ。不思議なめぐり逢いだよねえ」

 

本当にうれしそうだ。

 

しかし菊雄さんの負担は大きい。堀越医師は看護師とケアマネージャーをいれることを勧める。便秘に悩む賢子さんの排便を促したり、2年ぶりの入浴をさせたり。一度は「気持ちよかった」と言っていた賢子さんだが、「また入ってもらう?」と菊雄さんが聞くと、強く首を振った。

 

「もういいよー」

 

介護ベッドに寝せられた賢子さんは、少し元気がなくなってしまった。畳の上に寝て菊雄さんにすべてやってもらっていた時とは明らかに違う。しかし、菊雄さんにすべて頼るのは限界。老々介護の難しさがここにある。

 

この映画も、「“樹木希林”を生きる」と同じように、NHKで放送された番組を再編集したものだ。監督は下村幸子。

「小堀先生の運転する軽自動車に乗せてもらって、往診に同行したのです。で、心の底から驚きました。そこにあったのは『埋もれている世界』でした。一見なんでもない一軒家がならぶ郊外の町ですが、ドアをあけてみると『ゴミ屋敷』の中に寝たきりのお年寄りがいたり、老々介護で今にも共倒れになりそうな夫婦がいたり、…。それは『バラ色の在宅』とはほど遠い、複雑な問題をかかえた医療現場のリアルでした。」 

 

f:id:mikanpro:20191030213303j:plain

 

誰もが必ず直面する死の瞬間。その瞬間に焦点をあてて見せられる映像は、厳粛ながらもどこか懐かしい匂いに満ちている。詳しくは語られないが、この人はこれまで、その人なりの人生をそのひとなりに歩んできたのだ、ということがわかる。そして見ている私たちもまた、自分なりの人生を自分なりに歩いているのだという、そのことを思い出す。

 

特に印象に残ったのは千加三さん父娘だ。千加三さんは末期がんを患う84歳。全盲の娘、広美さん(47)と二人で暮らしている。千加三さんは畳にずっと寝たきり状態。すべての世話を広美さんが行う。

 

元気なころは、幼いころに視力を失った広美さんと奥さんとの3人暮らし。しかし、8年前に奥さんが脳梗塞を患ってから、2人の世話をしてきたのは千加三さんだった。奥さんが亡くなった後、自らも病に倒れた。在宅で闘病することにしたのは、広美さんのことが心配だったからだ。

 

庭には、ここに家を建てた時に植えた百目柿が色づき始めている。小堀医師が訪れるたびに、寝たままの状態で、柿をとっていってくれと語る。自慢なのだ。木の下に立った時、ふわーと匂うから食べ時が分かるという。

 

広美さんはまったく目が見えない状態で料理を作り、洗濯を行う。周りへの気づかいが細かく、丁寧で優しい言葉遣いを崩さない。                                        

                    f:id:mikanpro:20191030213341j:plain

いよいよ心臓が動かなくなってきた時、小堀医師を呼ぶ。最期が近いから手を握っていてあげなさいという小堀医師。広美さんは昨日ちょっとしたことで父親の前で泣いてしまい、


「泣かなきゃよかったなって、今思ってるんだけど…」

 

という。ああ、それが最期のやりとりだったんだなと思う。小堀医師は、

 

「一生の付き合いというものは喧嘩もすれば怒鳴り合いもする。泣いたり笑ったり、普通のいつも通りの終わり方をしたということだからいいと思いますよ」

 

広美さんのこの家の中のたたずまいが、何とも言えずに幸福を感じさせる。なぜなんだろう。それほど裕福とも見えない家の中で、まったく目の見えない50歳近い娘が、末期がんの父親を介護しているのに。この家族が過ごしてきた年月の何気ない幸福を思う。こんな人もいるのだという驚きと感動があった。

 

広美さんのおかげなのだろう。この映画を見終わって、世界の見え方が少し変わった気さえする。もちろん明るい方向に。

 

監督・撮影:下村幸子
日本  2019/ 110分

公式サイト

https://jinsei-toki.jp/characters.php