暗闇の中、面接を受ける男性と、雇い主らしき人の声。この仕事は雇用関係ではない、対等なパートナーだと説明するオーナー。やがて画面が明るくなると、ずいぶん体格のいいオーナーの前に中年の男が座っている。
「勝つのも負けるのも自分次第。できるか?」
「ああ、こんなチャンスを待っていたんだ」
イギリス、ニューカッスル。仕事は宅配のドライバーだ。個人事業主。車は会社から借りてもいいし、自分で用意してもいい。リッキーは、思い切ってローンで車を買うことにするが、頭金がない。家に帰ると妻のアビーに、彼女が仕事で使っている車を売ってくれと頼む。
アビーは、在宅介護の仕事を何軒も掛け持ちしているので、車がなくなるとバスで移動しなければならない。時間のロスが大きい。それでもリッキーの仕事が軌道に乗ればうまくいく―。そう信じるしかない。
仕事は時間との勝負だ。配達時間は厳守。そのためリッキーは走り回り、帰宅も遅い。車が無くなったアビーは家にいる時間が減り、子どもたちだけの食事が増える。兄は16歳、妹は12歳。兄のセブは学校でたびたび問題を起こすが、1日14時間勤務では親として学校まで行く時間もない。
問題を起こした息子に、負け犬になってしまうぞ、と怒るリッキーだが、
「父さんみたいに?」
と、冷たく返される。家族が少しずつ解体してゆく。持ち家で暮らすという夫婦二人の夢が、遠のいてゆく―。
監督はケン・ローチ。前作「わたしは、ダニエル・ブレイク」と同じく、現代社会の矛盾に満ちたありようを鋭く問いかける。
「これは市場経済の崩壊ではなく、むしろ反対で、経費を節減し、利益を最大化する過酷な競争によってもたらされる市場の論理的発展です。市場は私たちの生活の質には関心がありません。市場の関心は金を儲けることで、この二つは相性が悪いのです。ワーキングプア、つまりリッキーやアビーのような人々とその家族が代償を払うのです。」
リッキーの家族には、次々と問題が降りかかる。多くは息子サブが起こす問題だが、対処したくても休むに休めない。ついに万引きで捕まり、警察に呼ばれるリッキー。こうして仕事を休むと、1日100ポンド(約15000円)の罰金だ。問題解決のため家族としばらく過ごしたいと言っても、休みを取るとお金も取られる。何かあるたびに罰金、罰金で、なんのために働いているかわからなくなるほどだ。
そんな中、ついにサブと大ゲンカ。サブが家を出ていった翌朝、リッキーは仕事の車に落書きされているのを見つける。おまけに車のキーまで無くなっていた。キーが無いと仕事ができず、また罰金だ。困ったリッキーはサブを探して走り回るが…。
罰金、罰金というオーナーはビジネスの成功者なのだろう。自分が周りからどう見られているかもわかっていて、これがビジネスで成功するためだと冷たく割り切っている。自分は必死で努力して成功したのだから、成功しないのは本人の努力が足りないからと思っている。
しかしそうだろうか、と思う。あなたが成功したのはたまたまにすぎないと考えた方がいい。努力できる人間に生まれたのは自分の手柄ではない。同じような才能があり同じように努力しても、何かほんのちょっとの状況の違いでまったく別の結果が生まれることがある。
余りにも冷たく理不尽なオーナーの仕打ちが続き、ついに妻のアビーが爆発する時が来る。病院の待合室、衆人環視の中、電話口でオーナーに怒りをぶつけるのだ。
「私たち家族をなめないで」
電話を切ったあと、アビーは汚い言葉で相手を罵る自分を恥じ、号泣する。ふだん我慢強く、どんな老人も優しく介護するアビー。自分の生き方を逸脱してまでオーナーを罵るその叫びが、見るものの感情を強くゆすぶり涙があふれてしまう。しかし、叫んだ方がいいのだ、時には。
監督:ケン・ローチ
脚本:ポール・ラヴァティ
主演:クリス・ヒッチェン、デビー・ハニーウッド
イギリス・フランス・ベルギー 2019/ 100分
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