冒頭にテロップが流れる。
「1949年頃、中国から数百万人が国民党政府とともに台湾に渡り、だれもが安定を願った」
いわゆる外省人である。小四(シャオスー)はそうした外省人の公務員の息子だ。建国中学の入試に落ち、夜間部に通っている。
「しかし子どもたちは大人の不安を感じ取り、徒党を組んだ。脆さを隠し自分を誇示するかのように…」
小四と彼の周辺の子どもたちは14歳。年齢だけ聞くと随分と幼い印象だが、すでに町の派閥争いの渦中に放り込まれている。小四はなかでもつかず離れずの微妙な立場にいるが、普通に暮らそうとしてもいくつも火の粉が飛んでくる。
ある時小四は、小明(シャオミン)という同じ学校の少女(おそらく本省人)と出会いお互いに惹かれていくのだが、小明はかつてこの町を仕切っていた若者ハニーの恋人だった…。
映画は不安定な台湾の社会状況を背景に、実在の事件、14歳の中学生による同級生殺害に至るまでの、子どもたちの心の葛藤を描いている。監督はすでに故人となったエドワード・ヤン。
「『牯嶺街少年殺人事件』は、本土であれ台湾であれ、中国の人民が、当局の公式的な歴史を強制されて委縮するあまり、記憶を取り戻そうとする関心すら持てなかった時代の物語である。この故意の忘却が私たちの心に巨大な空虚を生み、その結果生じた誤解や行き違いによって、権力者どもが人をたやすく搾取し、操る状況がもたらされた。『牯嶺街少年殺人事件』はそんな状況下での人間の尊厳、自尊心をめぐる物語である。」(エドワード・ヤン)
ハニーは対立するグループのボスを殺し、台南に身を隠していたがやがて戻ってくる。ハニー不在の時間にのし上がってきた少年、敵対するグループの少年たち、抗争は激しさを増してゆく。
一方、かつて学校のやり方に反発し、自分で物事を判断するようにと息子に教えていた小四の父親は、共産党とのつながりを疑われ、過酷な尋問を受ける。そしていつのまにか、学校に自ら頭を下げるようになっていた。その様子を教員室でみていた小四は、バットでランプを叩き潰し、退学になってしまう。そして小明が、金持ちの友人といい関係になっていることを知る。
小四は言う。
「運の悪い人が多すぎる。ハニーも言っていた。社会は不公平すぎる」
ただ小明には、小四には気づかない秘密があった…。
何よりも画面の構図が美しい。その美しさを堪能できるだけのカットの長さ。4時間弱に及ぶその持続。映画に文体のようなものがあるなら、この映画には明らかにそのトーンがあり、一度惹かれてしまうと病みつきになる。
終盤で小四は小明に言う。
「僕だけが君を救うことができる。僕は君の希望だよ」
しかし小明は、
「助ける?私を変えたいのね。…私の感情という見返りを求めて安心したいわけ?自分勝手なのね。この社会と同じ。私は変わらないわ」
と突き放してしまう。
たとえどんな状態であれ、他人の手によって自分を変えられたくはない。自分を変えようとする者への嫌悪。変わらない社会にいら立つのではなく、社会にあわせて変わる人々が許せないのだ。
エドワード・ヤンは、台湾人としての、人間としての誇りをこの幼い少女に仮託した。それはしかし、背負うには大きすぎるものだったのだが。
監督:エドワード・ヤン
主演:チャン・チェン、リサ・ヤン、ワン・チーザン
台湾 1991 / 236分
公式サイト
http://www.bitters.co.jp/abrightersummerday/