映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

朝が来る

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5歳の子どもの歯磨きを見守る母親、佐都子。不自然なほどのアップが、ありきたりの日常の幸せを伝える。やがて幼稚園で起こる、ありがちないざこざも、悩む母子の性格の良さを浮き彫りにする。そんな母親にあるとき、一本の電話がかかってくる。

 

「子どもを返してください」

 

実はこの母子は血がつながっていない。あるNPOを通じて生まれてすぐに引き取った養子である。NPOは「ベビーバトン」と言い、望まない妊娠をした、あるいは妊娠しても育てることができない、など様々な事情を抱えた母親から、こどもを授かりたい人へ手渡す活動をしている。電話の声はその母親なのか?

 

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佐都子は夫婦が経験した苦しかった時期を回想する。そのころ夫の清和が無精子症と診断され、治療もうまくいかない日々が続いていた。子どもをあきらめ、ふたりで生きていこうとするが、偶然見たテレビ番組でそのNPOの存在を知る。悩みながらも夫婦は説明会に赴き、養子をもらうことを決意する。しばらくして連絡を受けた夫婦は、病院で生まれたばかりの赤ん坊と対面した。

 

「この子のお母さんに会いますか」

 

と問われた夫婦はうなずき、ロビーに向かう。そこにいたのは、両親に付き添われたおとなしそうな14歳の中学生だった。

 

清和が「この子を産んでくれてありがとう」というと、少女は「ごめんなさい。お願いします」と繰り返しながら、佐都子に一通の手紙を手渡す。少女の名前はひかりという。こうして今度はひかりの物語がつづられる…。

 

 監督は河瀨直美。原作は辻村深月の同名小説。

「いま、社会の中で、ぬぐいきれないものを抱えているさまざまな世代の人たちがいる。不妊治療をしても我が子を授からない夫婦がいる。片や誰かを愛しただけなのに、望まない妊娠で身ごもった少女は、闇に引きずり込まれていく。こうした人たちに、日常では出逢うことがない人もたくさんいると思います。そういう観客の皆さんに、伝えたいという想いがありました。」

 

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先ほどの電話の主は、こう付け加える。

 

「だめならお金をください。出ないと本人に本当のことを言います」

 

このNPOにはルールがある。もらい受けた子どもに、小学校に上がる前までに事実を伝えること。そのために事実を告げるという脅迫は成り立たない。

 

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実際に会って話をするため、夫婦はマンションに来てもらうことにする。あの少女がこんな電話をかけてくるはずがない、という思いが佐都子や清和にある。だから擦れた風体の少女が現れると、

 

「あなたは誰ですか?」

 

と問うてしまう。見ている私たちも電話をかけたのはひかりではなく、ひかりから事実を聞いた友人かもしれないと思う。

 

実際、どんなに風体が変わったとしても、会って気づかないなんてことがあるだろうか。だが、もしかすると気づきたくない、そんな人であってほしくない、という佐都子たちの身勝手な思いが目を曇らせているとしたら…。

 

少女を追い返した後、刑事が佐都子のマンションを訪れ、一枚の写真を見せる。それはまさしく先日訪問を受けた少女だったのだが…。

 

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この作品は、味わい深い独特の雰囲気をたたえている。描かれることはシンプルなのに描き方が単純ではない。そのために言葉になる以前の感情を深いところから喚起される。

 

広島、似島の海や森、それらの風景が声を発するようなカット、撮っている人間が意識されるドキュメンタリータッチのカット。ある場面では、カメラを持った河瀨監督の長い影が地面に延びて、そこにNPO代表(浅田美代子)の言葉がゆらゆらと重なる。

 

「私たちのことを伝えてね」

 

不思議な幻を見るようだ。そこには物語の筋とは全く別のところから、映画を強く震わすような旋律がある。その響きを何度でも味わってみたくなる作品だと思う。

 

監督・脚本・撮影:河瀨直美
主演:永作博美井浦新、蒔田彩殊、浅田美代子
日本  2020 / 139分

 

公式サイト

映画『朝が来る』公式サイト | 絶賛公開中! (asagakuru-movie.jp)