第二次世界大戦後間もないハンガリー。16歳のクララは初潮を迎えるのが遅く、心配した叔母に連れられ産婦人科で検診を受けている。
医師のアラダールが、
「お母さんも不順だった?」
と問うと、
「まだ生きてる」
と強い口調で答える。だが、すでに両親と妹はこの世にいない。ホロコーストで虐殺されたのだ。数日後クララは再び病院にやってくると、なぜかアラダールの家までついてくる。歩きながら叔母のことを口汚くののしるクララ。家族に取り残された自分を不幸だと嘆く。
戸惑うアラダールだが、すがりつくクララを優しく抱きしめもする。アラダールも同じように家族を失ったのだ。16歳の少女と中年の産婦人科医。ささやかな物語が始まる。
「僕はこの作品をホロコースト映画だとは思っていません。その最中の恐怖ではなく、むしろそのあと、筆舌に尽くしがたい経験をして生き延びた者たちに何が起こったか、そして彼らがどう向き合ったかを描きたかったのです。」
ある夜、アラダールがドアを開けるとずぶ濡れのクララがいた。叔母が、
「娼婦を預かった覚えはない」
と怒って言ったという。アラダールがクララを送った際、家の前で彼女を抱きしめたのを見たのだ。クララは泣きながら、
「ひとりが怖いと娼婦になるの?」
と聞く。
叔母の家では、もったいないからとなかなか入れないバスタブに浸かるクララ。目の前には在りし日の妹が屈託なく笑っている。幻影を見つめるクララには、妹を守ってと母親に言われ、それを果たせなかった大きな悔いがある。
ふたり並んで横になるとアラダールが静かにいう。
「ひとりが怖くても娼婦じゃない。私も同じだ。」
この世界に残された二人。お互いに惹かれあいながら、しかし恋愛感情を封印してゆく。それは、年の差もあるが、何より「今ここにいない大切な人たちのため」ためなのだろう。ある日、クララはアラダールの古いアルバムを見て、彼にかつて家族がいたことを知る。ページを繰ってゆくと幸せそうな子供の写真が現れ、それを見るやクララは号泣するのだ。
戦後ハンガリーはソ連の支配下にあり、市民はお互いを監視する不自由な状態を続けていた。密告されると夜中に警察がやってきて、有無もいいわせず連れてゆかれる。ふたりはこうした暗い時代を生きながら、やがてそれぞれにパートナーを見つけるのだが…。
とても静かなたたずまいの映画だ。物語の最後、アラダールは涙を見せるが、そのわけは観客の想像にゆだねられる。それは大切な人たちを思う悲しみなのか?人生を律しなければならない苦しみなのか? ただ、残されたものたちが、それほどいろいろなものを背負う必要があるのだろうか、と思う。
監督・脚本:バルナバーシュ・トート
主演:カーロイ・ハイデュク、アビゲール・セイケ
ハンガリー 2019 / 88分
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