茜色に焼かれる
30がらみの男が鼻歌を歌いながら自転車に乗っている。幹線道路の交差点を渡ろうとするが、1台の乗用車が猛スピードでやってくる。あっという間の事故。乗用車にはアクセルとブレーキを踏み間違えた高齢ドライバーが乗っていた。
物語はその7年後から始まる。事故で亡くなった男(オダギリジョー)の妻、田中良子(尾野真千子)は中1の息子と公営住宅でふたり暮らし。良子は息子の順平から見ても変わり者の母親だ。先日も夫を死なせた高齢ドライバーの葬式に出かけてゆき、追い返されたばかり。高齢ドライバーはいわゆる高級官僚で、アルツハイマーだったということで罪に問われることなく92歳の天寿を全うしていた。
良子はこの事故から少しも立ち直れていない。映画は物語を進めていくというよりも、少しずつ良子の身の回りのことを明らかにしてゆく。少し前までカフェを営んでいたがコロナで閉業。スーパーの生け花コーナーでバイトしていること。それだけでは生計がたたず、風俗店でも仕事をしていること。なぜ生計が立たないかといえば、義理の父親の老人ホーム代に10万以上かかり、かつ夫の愛人の娘のために養育費を出していること。
そんな良子の生活にある日大きな変化が現れる。中学の同級生の男と偶然再会したのだ。その男は妻と離婚したという。分かりやすく華やいで見せる良子だったが…。
監督は、「夜空はいつでも最高密度の青色だ」(夜空はいつでも最高密度の青色だ - 映画のあとにも人生はつづく (hatenablog.com))の石井裕也。空の色にこだわりがある人なのだろう。地べたを這いずる人間のどうしようもなさを描いて、空の色とはまったく関係がないように見える映画だが、逆にだからこそ空に惹かれるのかもしれない。
「コロナ禍でシングルマザーを出して、風俗もあって理不尽な事故もあり、いじめまである。そういう要素だけを列挙すると当然、『私は弱者の立場に立っています』という偽善的なものに見える。嫌ですよ。そういう作品が他にあったら、僕自身が作り手に疑念を持ちます。なのに、今回は何故か自信がありました。多分、本当にやりたかったことがその先にあったからだと思うんです。散々な苦難の先にある、今この時代にしか描けない強烈な愛と希望です。」
良子のまわりにはろくでもない男が集まってくる。自分の父親の名誉を守ることだけに必死な事故を起こした高級官僚の息子、細かなルールを盾にいつも難詰するスーパーの店長、風俗嬢を貶めることでプライドを保とうとする風俗店の客。それぞれの理不尽を、良子は作り笑顔で受け止める。時には相手をハグして「まあ頑張りましょう」と言う。
ある時風俗店の店長(永瀬正敏)が、リストカットを繰り返す女の子がいたことについて触れ、「なぜ生きたくないのにみんな生きてるんだろうね。死にたきゃ死ねばいいのに」というと、良子は大笑いして同意する。「そうですよね。死にたければ死ねばいいんですよね」
なぜ怒らないの?と風俗店の仲間のケイは言う。なぜそんなことで笑えるの? しかし良子は7年前から死にたがっているのかもしれないと思う。悲しいから笑っているのだ。怒りと悲しみを内に抱え静かに笑っている姿勢は、日本人の多くが持つ特性なのだろうか。
ただ事故の賠償金を受け取ろうとせず、風俗の仕事も辞さない良子には、強固なプライドがある。賠償金を受け取らなかったのはドライバーが謝らなかったからだという。
「一言も謝らず、虫けらのように扱ったの」
ただその怒りは受け身の怒りだ。攻撃的ではない。
そんな良子にも怒りを爆発させる時が来る。まっとうな怒りはまっとうなコミュニケーションの道を開く、といいのにと思う。しかし地べたの日常はそんな風にきれいに展開するはずがない。だからこそ空の色が美しく見えるのだ。その時、傷ついた良子が流した涙はびっくりするほどに眩しく、今も忘れられないでいる。
監督・脚本・編集:石井裕也
主演:尾野真千子、和田庵、片山友希、永瀬正敏
日本 2021 / 114分
公式サイト
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