ファーザー
「あなたはいったいいつまで我々をイラつかせる気ですか?」
(娘婿の言葉)
ロンドンで一人暮らす81歳のアンソニー(アンソニー・ホプキンス)。娘のアン(オリヴィア・コールマン)が慌てて部屋に入ってきたかと思うと、介護人が辞めてしまったと文句を言い始める。アンソニーが暴言を吐いたからだ。だから介護人なんていらないと言ったんだ。しかも娘はロンドンを離れてパリで暮らすという。私を一人にする気か?
部屋に見知らぬ男がいる。誰だ?男は娘の夫で今は一緒に暮らしているという。しかもこの家が私の家でなく自分たちの家だと言っている。広くて居心地がいいこの家に何年も暮らしてきたのはこの私なのに。そうかと思えば見知らぬ女性が玄関から入ってきて、私の娘だという。しかも5年前に離婚してるから夫はいないと…。まったくわけが分からないけど、まあいいや。
予備知識なく見ると、これは誰かの策略なのか、とも思ってしまうが、やがて認知症によるものなのだとわかってくる。認知症の本人の側から見た周りの世界なのだ。それは目の前の現実を認識できないだけでなく、時間と空間が好き勝手に浮遊する世界。監督はフロリアン・ゼレールというフランスの劇作家。自身の脚本による舞台の映画化である。
「認知症というテーマは現代において最も悲しい問題です。それに、誰もが共感できる問題でもあります。誰だって怖いでしょう、自分自身を失ってしまうことは。…本作は認知症についてのストーリーですが、観客には自分の話として捉えてもらえたら、自分が経験しているような気持で観てもらえたらと願っています。迷路のような作品なので、観客は自分自身で出口を探さねばならなくなるはずです。」
ストーリーは、フランスで暮らす予定の娘のアンが父親のアンソニーをこれからどうすればいいか、という悩みの中で進んでいく。最近一人暮らしだった父親を自分たちの家によんだばかりだ。アンソニーは現実が理解できないだけでなく、時計を盗まれるという妄想を繰り返し語り、周囲を辟易とさせる。
同居するパートナーは、さっさと施設に入れろという。それを盗み聞きしてしまったアンソニーはショックだったのか、同じシーンが2度繰り返される。そして、我慢できなくなった娘のパートナーが詰め寄ってこういうのだ。
「あなたはいったいいつまで我々をイラつかせる気ですか?」
これも相手を変えて2度繰り返される。
見ていると、人生の最後とはこんなものなのかと少し寂しくなる。アンソニーはおそらくは実社会で成功した人なのにも関わらず。いやむしろそうだからこそよけいに。
人生はどの断面で見るかによって随分印象が変わってくる。ただ、結局関係の薄い人にとっては「今」という断面しかない。年を取ると、いい時の断面を知ってほしくて、過去を何度も繰り返し語るようになるが、「今」という断面から見ると、昔の話をくどくどするお年寄りにしか見えない。そこに認知症となるとその断面も妄想なのだ。
(ひとの一生とは何なんでしょうね)
そういった、誰にとっても普遍的な問いかけが頭をよぎり、そして答えを得られずに悶々とする。しかしアンソニーがすべての「問い」から解放されたとき、そこには計り知れない境地があるのかもしれない。
(あると考えたいです)
ちなみに、認知症の老人が主人公の映画で印象深いのは、ナチスへの復讐と絡めた、
手紙は憶えている - 映画のあとにも人生はつづく (hatenablog.com)
です。
監督・脚本:フロリアン・ゼレール
主演:アンソニー・ホプキンス、オリヴィア・コールマン
イギリス・フランス 2020 / 97分
公式サイト