わたしはダフネ
匂いを嗅いでみて。同じ匂いがするでしょう?
(ダフネの母親の言葉)
ダフネ、赤い髪の女性。靴に入り込んだ石ころを気にしていたが、取れると母親と並んで歩いてゆく。イタリアの夏の別荘地。休みが終わり、そろそろ帰り支度というときに、ダフネの声が響く、「誰か助けて!」と、走ってゆく。場面が変わると母親が亡くなっており、父親と二人取り残される。声をあげて泣く。
ダフネはダウン症である。葬儀が終わると再び働きに出る。出かけるとき、心配する父親にダフネが言う。
「忘れないで。私とあなたはともに働いていて、私たちはひとつのチームなの」
近所のスーパーマーケットでは、みなが温かく迎える。みなダフネのことが大好きだ。物おじせず思ったことを言う。自信たっぷりでそして裏表がない。新しく入った女性とダフネの会話が面白い。タバコを吸おうとする女性に、ここは禁煙よ、とやんわり注意するダフネは、自分がこの店で働くことがどんなに楽しいかを語る。
「この店が死ぬほど好き」
「どこが好きなの?」
「全部よ。全部。特に無から創り出すところね」
「創るって何を?」
「ラベルよ」
しかし、ダフネよりも父親のルイジがショックから立ち直れず、心配するダフネはお母さんに会いに行こうと提案する。それも歩いて。二人は山道を歩いて母親の故郷に向かうが…。
監督は、イタリアのフェデリコ・ボンディ。11年ぶり2作目の長編作品である。
「数年前、年老いた父親とダウン症の娘が手を繋いでバスの停留所にいるのを見た。疾走する車と通行人の中でたった二人、静かに立ちつくすその姿は、まるでヒーローかサバイバーのようだった。そのイメージと、その時に抱いた感情にインスパイアされて生まれたのが『わたしはダフネ』だ。あの光景は、物語のより深いところへ私を押し進めてくれた煌めきだった。」(ディレクターズノートから)
ダフネを演じたのは、カロリーナ・ラスパンティ。彼女もダウン症で、実際に近所のスーパーで働いている。また活動的な人らしく2冊の自伝小説を上梓。監督はカロリーナさんをYou Tube で見かけて声をかけたという。
「カロリーナはダフネそのものだ。脚本執筆時や撮影中、私の主なインスピレーションは“リアリティ”だった。カロリーナが映画に合わせるのではなく(彼女は脚本を1ページたりとも読んでいない)、映画がカロリーナに合わせる必要があった。」(同上)
母親の生まれたトスカーナ地方。山間の宿にたどり着いた二人。宿の女主人が、ダフネのいないとき父親のルイジに、「いつも口を開けているのかと思ってた」と語りかける。
ルイジは「私もそうだった」と語る。ダフネが生まれて三日間は病院に行けなかった。周りが祝福してくれるのにも関わらず。その時、母親が言ったのだ。
「匂いを嗅いでみて。同じ匂いがするでしょう?わたしたちと同じなの」
旅の終わりにダフネは父親のルイジに、ある贈り物をする。それは母親にまつわるとても親密な贈り物で、ルイジに語った先ほどの言葉を思い出させる温もりがある。
これは、見終わった後、なぜかわからないが、とても幸福な気持ちになる映画。それはカロリーナ・ラスパンティの周囲の人が感じている気持ちに近いのかもしれない。
監督・脚本:フェデリコ・ボンディ
主演:カロリーナ・ラスパンティ、アントニオ・ピオヴァネッリ
イタリア 2019 / 94分
公式サイト
『わたしはダフネ Dafne』公式サイト|7/3(土) 前を向いてロードショー! (zaziefilms.com)