映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

ドライブ・マイ・カー

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「僕は正しく傷つくべきだった」

           (家福の言葉)

 

明け方の都会の空が窓の向こうに見える。女が何か話しているが、逆光で影しか見えない。裸のようだ。ベッドの上にあおむけになった男が相槌を打つ。女が話しているのは物語の断片。初恋の男性の家に忍び込む高校生の話。

 

「彼女はオナニーをしたくなる。でも我慢する。彼女には規律があるの。」

 

「空き巣はよくて、オナニーはいけない?」

 

「そう」

 

翌日、彼女は話したことをすべて忘れている。夫の家福(西島秀俊)が覚えていることを話し、妻の音(霧島れいか)がメモを取る。それが脚本に生かされる。音は脚本家なのだ。

 

ある時、フライトが変更になって家に戻ると、音は他の男とセックスしていた。家福は黙って静かに家を出る。その夜、何事もなかったかのように音は家福とスカイプで話す。家福も普段通りに接する。そうしたある日、

 

「今晩帰ったら、少し話せる?」

 

と音が問う。

 

「もちろん」

 

だが、家福はなかなか家に帰ることができない。話すことを避けているのだ。深夜帰宅してみると音が倒れていた。くも膜下出血でそのまま亡くなってしまう。ここまでが前段の物語。ここから2年の歳月が流れ、家福は「ワーニャ伯父さん」の舞台を上演するため広島に向かい、音の相手の男であった俳優の高槻(岡田将生)がオーディションを受けに来ていることに気づく…。

 

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監督は「寝ても覚めても」の濱口竜介。脚本は大江崇允との共同でカンヌ映画祭脚本賞を受賞した。村上春樹の短編「ドライブ・マイ・カー」が原作だが、他に「シェラザード」と「木野」を合わせて一つの物語に紡いだ。上映時間は3時間。しかし決して長くはない。おそらく編集しようと思えばできたような感じだが、必要な長さだと思う。(なんと言うか、何かを感じ取るのに必要な時間というのがあるような気がする)

 

家福は高槻をワーニャ叔父さん役として採用する。家福の稽古は独特で、感情を入れない脚本読みを延々と繰り返す。これは濱口監督の演出法に近いという。WEB記事「シネマカフェ」のインタビューではこう話している。

 

「本読みをしていくと、言葉の意味が希薄化していくんです。・・・本読みを繰り返すことによって、言葉の意味に囚われず、言葉が自動的に出てくるようになる。本番では予期せぬ思いが入ることもあり、言葉の多い映画を撮る上では、有効な方法であるのは確かだと思います。」(シネマカフェ)

 

家福は、稽古場と宿舎の往復にドライバーをつけることが条件として出されていた。事故があると大変だからという理由だ。紹介された渡利みさき(三浦透子)は、若いが腕の確かなドライバーだった。北海道の悪路で鍛えられたという。寡黙な彼女を家福は気に入り、車の中で妻の音がカセットテープに吹き込んだ「ワーニャ叔父さん」の台詞を聞き、暗唱し続ける。このため車の中は音の声がいつも溢れている。

 

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高槻は物語が進むにしたがって、自分の感情を抑えるのが難しい人物だとわかってくる。しかし、だからと言って高槻に抱かれていた音の行動の意味が、家福につかめるわけではない。家福は音の心を知ることができないことに今も苦しんでいる。分かっているのかいないのか、高槻は車の中で家福にこんなことを言う。

 

「ですから結局のところ僕らがやらなくちゃならないのは、自分の心と上手に正直に折り合いをつけていくことじゃないでしょうか。本当に他人を見たいと望むのなら、自分自身をまっすぐ見つめるしかないんです。」

 

そしてある事件が起きる…。

 

とても一筋縄では理解できないくらい、登場人物のこれまでの人生と現在進行形の物語が、緻密に織りなされている。見る人がどのような断面を取り出しても、そのひとつひとつが奥深い。どのような人もそれぞれの思いを託し深く考える契機を与えられる。

 

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暴力を受けていた母親との関係で悔いを抱えるみさき、自分自身を持て余す高槻、そして妻を亡くしたのはもう少し早く帰れなかった自分のせいだと考える家福。それぞれの思いは、それぞれの言葉を契機に静かに動き出す。

 

家福は音に深入りしなかったことを悔い、「僕は正しく傷つくべきだった」とつぶやくのだが、他人に深入りすることは、相手をなにがしか傷つけることでもある。それができない人間はやはり「正しく傷つく」ことが出来ず、ぶすぶすと不完全燃焼の苦しみにのたうち回る。

 

家福の心中は「ワーニャ叔父さん」の台詞と不思議にシンクロしながら、多言語で行われる舞台のラストシーンへと向かう。舞台上ではワーニャ叔父さんに向かってソーニャがこう語るのだ。家福に語るように。それも手話で!圧巻である。

 

「ね、ワーニャ叔父さん、生きていきましょうよ。長い、はてしないその日その日を、いつ明けるとも知れない夜また夜を、じっと生き通していきましょうね。運命がわたしたちにくだす試みを、辛抱づよく、じっとこらえて行きましょうね。」(神西清訳)

 

監督:濱口竜介

脚本:濱口竜介、大江崇允

主演:西島秀俊三浦透子岡田将生霧島れいか、パク・ユリム

日本  2021 / 179分 

映画『ドライブ・マイ・カー』公式サイト (bitters.co.jp)

 

原作:「女のいない男たち」村上春樹 短編集

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