映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

ミス・マルクス

f:id:mikanpro:20210925215614j:plain

資本論」を書いたカール・マルクスには娘が3人いた。末娘のエリノアは聡明な子で早くから政治と文学に深い関心を示していたという。長じて父の仕事を支え、父亡き後も労働者の環境改善や、男女平等を訴えた。この映画はそんなエリノア・マルクスの半生を描いたものだ。

 

エリノアは社会活動家として熱心に活動する反面、私生活では大きな問題を抱えていたらしい。パートナーのエドワード・エイブリングが、既婚者でかつ大の浪費家だったのだ。出張先のホテルの部屋を大量の花で飾りエリノアを喜ばせる一方、それを平気で活動費として申請する。周囲は彼と暮らすことに大反対するが、彼女は頑として聞かなかった。

 

「私は誰かの世話ばかり。今度は自分自身のために生きる番よ」

 

しかしやがてエリノアの貯蓄も底をついてしまう…。

 

監督はイタリアのスザンナ・ニッキャレッリ。

「エリノアはとても心惹かれる人物です。聡明で、強い政治的信念を持っていた。でもその一方で感情的には脆いところもありました。彼女の人生はエモーショナルなものであり、同時に皮肉に満ちています。フェミニストであるのに、実生活では男性からひどい仕打ちを受けても耐えていたのですから。でもこうした矛盾はとても人間的だと思いますし、その複雑さにこそ、わたしは惹かれたのです。」

 

f:id:mikanpro:20210925215657j:plain

 

音楽の使い方や、終盤ででエリノアがパンクロックを歌い出すなどの演出はさっぱり乗れなかったのだが、彼女自身の矛盾にはとても興味を惹かれた。公的には女性の解放を叫びながら、自身は一人の男の束縛から逃れられない聡明な人。

 

この映画を見る限り、エイブリングはエリノアのことなどどっちでも良さそうだ。お金を使えるから一緒にいるくらいの感じ。

 

それでも長く連れ添ったある時、彼の妻と称する女性がエリノアを訪ねてきた。エリノアが彼の妻はすでに亡くなった、と言うと、

 

「そう。彼の妻は亡くなりました。そのあと私が妻になったんです」

 

という。

 

これほど人を馬鹿にした話はないと思うが、相変わらずエリノアは彼を厳しく攻めることをしない。そして「完全に馬鹿にされてる」という義兄に向かってこういうのだ。

 

道徳心が欠如してるの。目が見えなかったり耳が聞こえなかったりするのと同じ。責められないわ」

 

このセリフがこの映画で一番印象に残った。本当にそうか?一緒にしていいのか?という疑問とともに。

 

f:id:mikanpro:20210925215758j:plain

 

生まれつきの道徳心の欠如は罪ではない、と言えるかもしれない。しかし責任は生じる。道徳心の欠如は周囲に大きな傷を残すことがあるのだ。時に死に至る傷を。

 

何度裏切られてもエイブリングを許してしまうエリノアは、故意に自身を罰しているのか、とも思える。彼女が救おうとしている貧困階級に、自分が属していないことからくる負い目のために。

 

彼が新たに別の女性と結婚したという話を聞いた翌年、エリノアは自ら命を絶った。43歳だった。エイブリングもなぜか同じ年に持病で亡くなっている。この他人の感情にまったく無頓着な男は、「自分勝手に幸福」だったのだろう。理不尽でやりきれない話である。

 

脚本・監督:スザンナ・ニッキャレッリ
主演:ロモーラ・ガライ、パトリック・ケネディ
イタリア・ベルギー  2020 / 107分

 

映画『ミス・マルクス』オフィシャルサイト (missmarx-movie.com)