映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

アイダよ、何処へ?

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真剣な面持ちの男が3人、自宅のソファに座っている。そして女。女はアイダという。男たちは夫と二人の息子だ。これから起こることに身構えるような面持ちである。

 

1995年7月、ここボスニアヘルツェゴビナのスレプレニッツァが、セルビア軍に包囲されていた。アイダは国連軍の通訳として働いている。スレプレニッツァは国連の管轄下におかれた安全地帯だったはずだが、明日にも攻撃を仕掛けてきそうな勢いだ。会議の席で市長は、国連軍が何もしないことにいら立つが、国連軍の責任者はこともなげに言う。

 

「私はピアニストだ」

 

アイダはそれを訳して付け加える。

 

「ただの伝令に過ぎないという意味よ」

 

翌日セルビア軍が侵入、町を制圧すると市長は真っ先に殺される。人々は雪崩を打つように国連軍が管轄する基地に向かう。アイダは家族を探すがまだ到着していない。やがて門が閉じられ、人々は門外にあふれるようになる。セルビア軍が来るかもしれない。アイダは柵の外に夫と二人の息子を見つけるが…。

 

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1992年から始まったボスニア紛争は、セルビア人、クロアチア人、ボシニャク人(ムスリム人)の間で殺戮が繰り返され、およそ20万人の死者を出し、200万人以上の難民を生んだ。監督のヤスミラ・ジュバニッチは10代の頃この紛争を経験。「サラエボの花」「サラエボ、希望の街角」を制作した。

 

「スレプレニッツァは私にとって他人事ではありません。…人は道徳的規範が破られたとき、また人間たらしめるものすべてが壊されたとき、互いにどう振る舞うのか?これは単にボスニアやバルカン諸国についての話ではありません。人間についての物語であり、どうしても伝えなければならないという思いに私たちは駆られていたのです。」

 

セルビア軍は国連軍を呼びつけ、市民を安全な場所にバスで移動させると提案。国連軍はそれにのるが、実は男たちを別の場所に連れて行き虐殺していた。知らないのは市民だけ。隠れた場所で虐殺された人がいるということを知ったアイダは、家族をセルビア軍に任せるのは危険だと感じ、基地の中を走り回る。

 

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だがこういう時、ほぼ何も知らないでいる段階で、おとなしくバスに乗るか、それとも一か八か逃げ出すか(森へ逃げた市民も多い)、セルビア軍に反抗するか、どういう選択ができるだろう。誰もが選択に尻込みし、おとなしくバスに乗る。

 

しかしアイダは、家族は乗せないという選択をした。その決断のエネルギーはすさまじいものがある。国連職員の偽IDカードを作ろうとしたり、基地内のある場所に隠そうとしたり。この強さは尋常ではない。おかげで息子からは、

 

「母さんは何でも自分で勝手に決めてしまう」

 

と批判されるほどだ。しかしアイダは意に介さない。国連軍の隊長にも家族を残してくれるよう必死に訴えるが、例外を許すとパニックが起きるという名目で、かたくなに拒まれてしまう…。

 

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紛争は5か月後に終わるが、スレプレニッツァで行われた虐殺は8000人以上に上ると言われる。すべてが終わった後、アイダはスレプレニッツァに戻ってきた。「アイダよ、何処へ?」というタイトルは、もう一度迫害されるかもしれない土地に戻ることを含意する聖書の言葉からきているという。

 

スレプレニッツァで教師に復職するアイダだったが、子どもたちの学芸会に笑顔で参観する父親のひとりは、あの日住民を恐怖に陥れたセルビア軍の兵士だった。思えば、基地の外でアイダに声をかけてきたセルビア人兵士は、かつてのアイダの生徒だ。生活圏が同じ人間同士が殺しあっていたのだ。

 

このシーンは見ているとぞわぞわする。ここに和解の希望を託すのは、現実がつらすぎるとも思えるのだが、逆にそうだからこそ託さねばならないのかも知れない。

 

「戦争の物語はいつも自由、民主主義、正義で飾り立てられてしまうため、その物語の背後にある真実や戦争自体の愚かさに私たちは気づきません。別の見方からのストーリーを加えるためにも、背後で何があったのかを描いた物語がわたしたちには必要なのです。」(ヤスミラ・シュバニッチ監督)

 

脚本・監督:ヤスミラ・ジュバニッチ
主演:ヤスナ・ジュリチッチ、イズディン・バイロヴィッチ
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ/オーストリア/ルーマニア/オランダ/ドイツ/ポーランド/フランス/ノルウェー/トルコ  2020 / 101分

 

映画『アイダよ、何処へ?』公式サイト (aida-movie.com)