映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

ザリガニの鳴くところ

アメリカ、ノースカロライナ州の湿地帯。町から離れた水辺のほとりに一人の少女が暮らしていた。ムール貝を採ってはそれを売ることで生計をたて、買ってくれる商店の夫婦以外とは人とほとんど交わることがない。名をカイアと言う。

 

ある時、湿地の櫓(やぐら)の下で一人の青年が亡くなった。櫓の上から落ちたらしい。事故か他殺か?警察は、遺体の服に付着していた赤い羊毛の繊維から他殺と推測。そしてなぜかカイアが疑わしいということにして逮捕する。

 

この強引さは、町の人間がカイアを快く思っていないことの表れだ。人々はカイアを「湿地の少女」と呼び、近づくことすらしなかった。カイアは犯行を否認するが、カイアに対して偏見を持つ町の人間が陪審員となるため、弁護士は司法取引を勧める。応じれば数年で出所できるという。しかしカイアは町の人間に譲歩することを拒否する。死刑か、無罪。そのどちらかでいい、と。そして、自らの身の上を弁護士に話し始める…。

 

 

原作は、動物学者ディーリア・オーエンズの書いた初の小説で、世界的なベストセラーである。

 

「私は本物の森の中で育ちました。…“はるか遠く、ザリガニの鳴くところまで行きなさい”と言っていたのが私の母なんです。もちろんザリガニは鳴きません。母が言いたかったのは、自然の中の”自然“を経験しなさいということ。大自然のずっと奥深くまでひとりで入って行くと、そこにはもう自分と自然しか存在しない。そこではザリガニの鳴き声が<聴こえる>んです。」(ディーリア・オーエンズ)

 

カイアはもともと一人だったわけではない。両親と姉と兄、家族5人で湿地の辺に暮らしていた。しかし父親はDV男で、母親や子どもたちに容赦ない暴力をふるい、ついに母親は家を出る。そして、姉、兄と続けて逃げ出す。カイアだけは残って父親と暮らしていたが、母親が帰ってこないと分かるやなんと父親まで出ていってしまう。

 

ひとり残されたカイアは学校にも行かず、ムール貝を採りながら湿地の中で美しい少女に成長する。自然と深く触れ合いながら、まったく孤独に暮らしていたが、二人の男性が彼女の運命を揺さぶることになる。

 

 

ひとりはテイラー。小さいころに湿地で出会い、成長した後偶然の再会を果たし彼女に文字を教える。もう一人はチェイス。町の裕福な家の息子で、櫓の下で死んでいたのはこの男だ。二人とも一度はカイアを湿地から出そうとするが、うまく行かない。

 

カイアは湿地に育てられながら湿地の一部になった、ある特別な生き物のようだ。湿地を離れることは身を切られるより痛い。そのことを理解できないと、やはりうまく行かない。チェイスと初めて櫓に上ったとき、カイアはその風景に感嘆して言う。

 

「いつも横顔ばかり見ていた友達の、これが全身…」

 

それは自分の全身を鏡に映しだしたような体験だったのだろう。「無垢」とその奥に潜む力強い「生命力」。別の見方をすれば人間そのものであるようなそんな不可思議な存在を、デイジーエドガー=ジョーンズが見事に演じている。

 

 

監督:オリヴィア・ニューマン
主演:デイジーエドガー=ジョーンズ、テイラー・ジョン・スミス
アメリカ  2022 / 125分

原作:ディーリア・オーエンズ「ザリガニの鳴くところ」(早川書房

映画『ザリガニの鳴くところ』 11月18日(金)全国の映画館で公開 | オフィシャルサイト | ソニー・ピクチャーズ (zarigani-movie.jp)