映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

ケイコ目を澄ませて


東京の下町。小さな部屋でちゃぶ台を前に座り、若い女性が何かノートに書きつけている。その鉛筆の音だけが静かな部屋に響く。ただケイコにその音は聞こえない。ケイコは生まれつきの感応性難聴で両耳とも聞こえないのだ。

 

ケイコ(岸井ゆきの)は近くの古ぼけたボクシングジムに通っている。男性に交じってひたすら汗を流す。プロボクサーになったばかり。これまでの戦績は1勝0敗、間もなく第2戦を控えている。練習が終わるたび、ケイコはリングの下で小さなノートに何かメモを取っている。何が書いてあるかは分からない。

 

年明けの第2戦。ケイコはかろうじて判定勝ちをした。しかし満足のいく勝ち方ではない。母親はそんなケイコを心配し、

 

「もう十分じゃないの?」

 

と言う。母親が撮影した試合の写真は、ほとんどがブレてまともに映っているものがない。怖くて見てられないのだ。これからどうするか、ケイコにも迷いが生じ始める。

 

「一度お休みしたいです」

 

というメモを書くのだが、事務の会長になかなか渡せないでいた。いったい何のためにボクシングをやっているのか、本人にも分からないのかもしれない。ただ、第3戦もすでに2か月後に迫っていた…。

 

 

監督は「きみの鳥はうたえる」の三宅唱。実在のプロボクサー、小笠原恵子さんがモデルだという。

「彼女の生き方について考える時間が、世界の捉え方が少しずつ変化するきっかけになり、また自分自身の生き方も自然と見つめなおす機会になり、それが活力になったような気がします。そういう映画を作りたいと常々思っていました…。」

 

第2戦の勝利のあと、事務の会長(三浦友和)が記者にインタビューを受けるシーンがある。「プロ選手になれたのはケイコさんに才能があったからでしょうか?」という問いに会長はこう答える。

 

「才能は、ないねえ。小さいし、リーチは短いしスピードはないし。でもね、人間としての器量があるんですよ。素直で率直で」

 

 

この映画は少し変わった作り方をしている。ケイコの紹介の時、ある種のドキュメンタリー映画のように、文章をテロップで見せる。また場面につける音楽は一切なく、映画の本質的なところで耳が聞こえないことが邪魔にならないようにできている。逆に手話で雑談しているような場面は、説明のテロップはない。

 

3戦目が近づく中、ジムに閉鎖のうわさが流れる。会長の体調が思わしくないのだ。ケイコはこの会長がいたからここでボクシングをしているのかもしれない。みていると心が自然に通っているのが分かる。

 

ケイコの書いた日記風のノートに、ジムの閉鎖について書かれた言葉がある。

 

「許せない…」

 

この作品は、「ハレ」を描く「映画らしさ」というものを捨象して、ケイコの日々の感情に寄り添う。そこには観客にとって分かりやすいものは映らないが、「目を澄ます」と見えてくるものがある。それはケイコに投影した自分自身かもしれないし、これまで生きてきてこれからも生きてゆく理由かもしれない。

 

いずれにしても「目を澄ませて」と呼び掛けているのはケイコにではなく、観客に対してなのだ。そのことは強く伝わってくる。

 

監督・脚本三宅唱

主演:岸井ゆきの三浦友和、松浦慎一郎
日本  2022/ 99分

原案:「負けないで!」小笠原恵子著(創出版

映画『ケイコ 目を澄ませて』公式サイト (happinet-phantom.com)