映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

生きる LIVING


黒澤明監督の「生きる」をリメイクしたイギリス映画。脚本はノーベル賞作家のカズオ・イシグロである。

 

1950年代ロンドン。資料映像のようなざらついた画面で始まる。ある一人の若者が、汽車を待つ駅で、これから働く市役所の先輩たちに挨拶している。そのあいさつの中にジョークを交えるが誰もクスリともしない。親切な先輩が耳打ちしてくれる。

 

「こういう場所では笑うことはご法度なんだ」

 

周りは謹厳実直な紳士ばかり。映画はこの新人の若者の目線を一つの軸に進んでいく。

 

働き始めた市役所でピーターは、公園建設の陳情に来ている婦人たちの応対を任される。婦人たちは、たらいまわしにされた挙句この市民課に再びやってきていた。だが、課長のウィリアムズ(ビル・ナイ)は以前と同じように、ここの担当ではないから公園課に持っていくよう指示を与える。公園課からは下水道設備を何とかしてからだと水道課に回され、水道課はこうした問題は市民課だという。何か既視感のある光景だ。

 

市民課に戻ってきた陳情書は課長のウィリアムズが、そうかとだけつぶやいて、書類を机の上の棚に仕舞ってしまう。

 

「たいした問題じゃない」

 

といいながら。

 

 

この謹厳実直を絵にかいたような紳士がこの映画の主人公だ。妻に先立たれ息子夫婦と暮らしている。この日は早退し医者に行くのだが、その場ではっきりとがんを宣告されてしまう。余命もわずかだという…。

 

カズオ・イシグロは黒澤の「生きる」が自分の人生について大切な作品であると語り、その理由をこう述べている。

 

「この映画が伝える、自分が一生懸命に努力をするとしても、周りがそれを称賛したり、認めることをモチベーションにしてはいけない、というメッセージに私は成長過程において影響を受けてきたと思います」

 

 

ウィリアムズは絶望の中で無断欠勤を続け、歓楽の巷を徘徊する。その中で、渡辺勘治が「ゴンドラの唄」を歌ったように、ウィリアムズはスコットランド民謡「ナナカマドの木」を歌う。「ミスターゾンビ」とまで言われ役所仕事に人生を埋没させているウィリアムズだが、妻が生きていた時代は彼もまだ生きている「紳士」だった。スコットランド出身の妻を思い、在りし日の自分を思い切々と歌い上げるビル・ナイの歌声は切ない。

 

そして、同じ市役所に勤めていたかつての部下、マーガレットと出会いなおすことで何かが変わってゆく。若いマーガレットは身内からあふれ出るエネルギーがあり、ウィリアムズは、自分の人生の終わりに「生きる」ということを見つめ直し始めるのだ。

 

 

ある時ウィリアムズはマーガレットにすべてを打ち明け、意を決する。市役所に行き、婦人たちが持ってきた公園建設の陳情書を手に取る…。

 

人生の終わりに、何か自分が生まれてきた証を残したいと思うのは自然だ。ただウィリアムズは、公園建設は一時は話題になっても、やがてそんな功績は忘れられてしまうであろうことをよくわかっていた。しかし、と彼は考えていたのだ。新人のピーターに遺した手紙の中で彼はこう書く。

 

「この公園建設に携わった人はみな、ささやかな達成感を得たはずです。もし君が仕事に迷ったり飽きたりしたら、この小さな満足感を思い出してほしい」

 

自らの行動のモチベーションは自らの内になければならない。カズオ・イシグロはそう言っている。

 

 

監督:オリバー・ハーマナス

脚本:カズオ・イシグロ

原作:黒澤明監督作品「生きる」

主演:ビル・ナイ、エイミー・ルー・ウッド、アレックス・シャープ

イギリス  2022 / 103分

映画『生きる-LIVING』公式サイト (ikiru-living-movie.jp)