映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

ちひろさん

ちひろさんはとある港町のお弁当屋さん。と言ってもアルバイトで店先に立っている売り子さんだ。元風俗嬢と言うことだが別に隠すわけでもなく、ちひろさん目当ての男性客も多い。

 

公園で猫と遊んだり、子どもとじゃれ合ったり。ホームレスのおじさんと知り合うと、家に連れ帰って体を洗ってあげたり。何ものにもこだわらず、いつも一人で自由な雰囲気を身にまとっている。


おもちゃの蛇を使っていたずらしてきた小学生、自分のことをスマホでなぜか隠し撮りする女子高生と知り合い、少しずつ物語りが進み始める…。

監督は今泉力哉。原作の漫画は安田弘之。主演は有村架純

『この世界には、一人漂うように生きることを愛する方もいます。…誰にも、何にも邪魔されない、干渉しない、影響を受けない、ただただ思うままに生きることを選べたら。そんな生き方が出来たらどれだけ楽だろうか。 しかしながら、生きるそばには必ず誰かがいるのも事実です。一人の時間を大切にする日常の根底には人の温もりがあるということに、改めて気づける作品でもあるのではないかと思います。』(有村架純


ちひろさんのことを隠し撮りをしていた女子高生が、ちひろさんと仲良くなって、「私がどんな人間か聞かないんですか?」と問うたときこんな風に答える。

『そこにあんたがいるんだから、それで十分。聞いたところでそれが本当かどうか分かんないしさ』

こういうセリフを聞くと、まったく身にまつわる情報のない自分、裸の自分自身というのは、他人からどう見えるんだろうかと考えてしまう。

 

 

ちひろさんは、孤独好きとか人好きという区別とはまた違う、遠い所に眼差しを向けているように見える。その感じが人を安心させるのかも知れない。そういう眼差しになるまでに多くの大変なことを経てきたのだろうけれど。

小さな小さな私たちの人生がそれでもかけがえのないものであると、もう一度思い出させてくれる温かな映画である。

監督今泉力哉
原作:安田弘之

主演:有村架純リリーフランキー、豊嶋花
日本  2023/ 131分

※公開中ですが、NETFLIXで見ることができます

 

すべてうまくいきますように


作家のエマニュエルは、執筆中の自宅で電話を受けると急いで部屋を飛び出す。あわててコンタクトレンズを忘れ、取りに帰るほど我を忘れている。向かったのは病院。父親が脳卒中で倒れ、運ばれたのだ。しかし父親は元気そうで、不自由はあるが命に別状はなさそうだ。

 

ほっとしたのもつかの間、便も入浴もままならない入院生活が続くと父親のアンドレはエマニュエルに向かって言う。

 

「終わりにしてくれ こんな姿は私ではない」

 

つまり、尊厳死を願っているのだ。エマニュエルは驚き悲しがるがそのことについて父親を説得しようとはしない。しても無駄だとわかっているのだろう。子どものころからさんざんこの唯我独尊の父親には苦い思いを味わされてきた。

 

尊厳死は可能なのか? エマニュエルは、尊厳死を願った夫が実行する前に死んだという友人を訪ねる。エマニュエルは最低の父親だったといいながら彼のことを好きだと語る。

 

「友達だったら良かったのに」

 

と言うと

「友達として手伝ってあげればいいの」

 

と言われる。フランスでは違法のため、エマニュエルはスイスの団体を探し出し連絡を取るが・・・。

 

 

監督はフランソワ・オゾン。原作は自身の体験を描いたエマニュエル・ベルンエイムで、エマニュエルはオゾン監督とは「スイミング・プール」などいくつもの作品で脚本を共同執筆している。この映画はエマニュエルが病気で亡くなってからオゾン監督が映画化した。

 

アンドレの病状は回復を見せているようだが内面はまったく違っていた。

 

「(アンドレの)最大の不安は正気を失って、自分自身の死を決めるために必要な自由意志を失うんじゃないかということなんだ。はっきりした意識で決断する能力を失えば、娘たちはもう旅の計画を立てることができなくなるだろう。運命の日に近づくにつれて、緊迫感が高まってくる。彼は計画をまっとうするんだろうか?気を変えるだろうか、それとも一歩も譲らないだろうか?とね。」(オゾン監督)

 

印象深いエピソードがある。スイスの団体の代表に会ったエマニュエルが、尊厳死の最期の日にやめた人はいるんですかと聞くと、一人だけいると答えたのだ。

その人は重病で高齢だった。奥さんは年の離れた若い人で、最期の日に夫婦で街を歩いて奥さんに赤いドレスを買った。その夜、赤いドレスを着た妻を見て、そのあまりの美しさに生きることを選んだ、という。

 

 

一方アンドレの決意は固く、意思を曲げそうにない。エマニュエルは妹とともにアンドレをスイスに移送する計画を練る。

 

人は、自分が自分である基準がある。客観的にみると妙なことや愚かなこと、世間の常識と反することでもあえて突き進んでしまうことがある。尊厳死は決して愚かではないが、アンドレがこの人生で、自分が自分でいられる自己イメージはもう決まってしまっているのだ。

 

そのように生きてこられたというのは、うらやましくもあるが、反面、弱った自分をまったく受け入れられないというのはこれまでどんな人生だったのかと、少し考えてしまう。そんな父親に愛憎半ばの娘役を、ソフィー・マルソーが好演している。

 

監督・脚本・フランソワ・オゾン
主演:ソフィー・マルソーアンドレ・デュソリエシャーロット・ランプリング
フランス・ベルギー  2021 / 113分

 

エンドロールのつづき

インドの西、グジャラート州の田舎町。線路沿いにすむサマイ(9歳)は、駅の小さなチャイ屋台で父親を手伝っている。列車が到着すると客にチャイを売るのだ。めったに列車の来ない線路は子どもたちの遊び場だ。打ち捨てられた様々なものを使って、時に列車に轢かせてぺしゃんこにして、矢じりのような遊び道具も作ることが出来る。

 

町に家族で映画を見に行った日、サマイは観客席の後方から流れる光の束に気づき、その不思議さにすっかり魅了されてしまう。翌日映画館に忍び込んで叩き出されるが、映写技師のファザルは、サマイの持っているお弁当と引き換えに映写室の窓から映画を見せてくれることに。この日から映画とサマイの蜜月が始まる。

 

 

サマイの母親が作るお弁当は何とも美味しそうである。料理の様子も含めて何度か登場するが、パンフレットにはレシピが載っているので料理が好きな人も楽しめる。チャイの屋台を営み階級はバラモンの父親は、なぜか映画を低級な仕事と見ていて、サマイの言動にいい顔をしない。

 

サマイというのは「時間」という意味だそう。映写技師のファザルにサマイは言う。

 

「お父さんとお母さんには金も仕事もなかった。あるのは時間だけだった。だから僕が生まれたとき、サマイと名付けたんだ。」

 

監督・脚本はインドのパン・ナリン。自伝映画だという。

 

「実際に母も料理上手で、父は田舎町の駅でチャイを売っていました。そこはだだっ広い野原と果てしなく広がる空しかないような場所で、列車以外は遠くの空に飛行機が見えるだけ。その飛行機だけが外の世界とのつながりでした。」

 

 

サマイはやがて映画を仕事にしたいと思うようになる。駅に到着する映画のフィルムを仲間と盗んで、自分たちで上映することが出来ないか、試行錯誤を始める。少年のサマイは、映画の内容よりもむしろ技術的なことに強く惹かれている。それは映写室から映画を観るという体験と無縁でないかもしれない。

 

しかし映画が途中で終わってしまったり、いい場面が切れてしまったりすることに観客たちが騒ぎ始め、フィルムが到着するサマイたちの駅に警官がやってくる…。

 

 

映画の終盤、時代が映画上映技術としてのフィルムを追い越し、捨て去ってゆく。サマイは大量のフィルムが捨て去られるありさまを目撃し、ある決意をする。

 

「光を勉強したいんだ。光が物語を写し、物語が映画を産む。」

 

大切なものを守るために、大切なものを守る力が必要なのだ。彼は何を守りたいのか。そしてそのために必要な力とは?インドの片田舎で生まれたある映画少年の、無邪気で前向きな力強さに思わず感動を覚える。

 

 

監督・脚本・プロデューサー:パン・ナリン
主演:バヴィン・ラバリ、バヴェーシュ・シュリマリ
インド・フランス  2021 / 112分

映画『エンドロールのつづき』公式サイト|2023年1月20日(金)公開 (shochiku.co.jp)

 

そばかす

4人で盛り上がっているように見える合コンだが、女性のひとりはつまらなさそう。男性が気を使って話を振ってもなかなか入り込めない。その女性は蘇畑佳純(そばたかすみ・三浦透子)。映画が好きだというので、男は二人で見に行こうと誘うが、佳純は戸惑うような困ったような笑みを浮かべるだけ。帰りに一人でラーメン屋によって、うまそうに啜る。そんな人だ。

 

見ていくとだんだんと分かってくるが、佳純は恋愛や性的なことに全く興味がわかない質だ。そんな人がいるなんて周りは思わないから、佳純は何かと苦労する。特に母親は結婚させようとやっきになっている。

 

あるとき騙されて見合いの席に着くことになった佳純だが、相手がまだ恋愛するつもりはないと知って、逆に意気投合。泊りがけのバイク旅行をするほどの友人となる。しかし、相手のほうがだんだんと、佳純に対して異性としての興味を持ち始めてしまう。とまどう佳純はうまく自分のことを説明できず、結局は怒らせてしまう…。

 

 

監督は、玉田真也。企画・原作・脚本は、アサダアツシ。この作品の着想について問われ、アサダアツシはこう答えている。

 

「映画『his』を作る過程で、いろんなセクシャルマイノリティの方のお話を聞く機会があり、アロマンティック・アセクシャルの方と知り合ったのがきっかけです。人は誰かを好きになるものだと刷り込まれていた僕にとって、恋愛感情を持たない人が存在することは結構衝撃的でした。…恋愛感情を抱かない人にはこの世界がどんな風に見えているのだろうという興味がわいたんです。」

 

そういう人がいるだろうとは思うが、アロマンティック・アセクシャルという風に名前がついてカテゴライズされるほど多くいることに驚いた。(私が知らなかっただけで、例えばこういうドラマもあったようです。恋せぬふたり - NHK

 

物語は、中学時代の同級生、世永真帆(前田敦子)が佳純の前に現れることで動き始める。東京でAV女優として活躍し地元に戻ってきていた真帆は、女性に対する世間の価値観に違和感を抱いていた。

 

 

ある時、佳純が務める保育園で、デジタル紙芝居を作ることになり、佳純は「シンデレラ」の物語を脚本する。しかし真帆は、シンデレラがいかにおかしな価値観(王子様に見初められることが女性の最大の幸福)に縛られているかを力説する。佳純はまったく同じ考えだと語り、自分たちの「シンデレラ」を作ろうと真帆と一緒に新たな物語を書き始める…。

 

三浦透子前田敦子の存在感に圧倒される。紆余曲折の物語をもう少しシンプルにしても良かったように思うが、語りたいことが多くあるのだろう。特に終盤に登場する保育園の新人、天藤光(北村匠海)の言葉が印象に残った。

 

「同じように考えてる人がいて、どこかで生きてるんだったらそれでいいやって思いました」

 

監督:玉田真也
企画・原作・脚本:アサダアツシ

主演:三浦透子前田敦子伊藤万理華、坂井真紀
日本  2022/ 104分

ケイコ目を澄ませて


東京の下町。小さな部屋でちゃぶ台を前に座り、若い女性が何かノートに書きつけている。その鉛筆の音だけが静かな部屋に響く。ただケイコにその音は聞こえない。ケイコは生まれつきの感応性難聴で両耳とも聞こえないのだ。

 

ケイコ(岸井ゆきの)は近くの古ぼけたボクシングジムに通っている。男性に交じってひたすら汗を流す。プロボクサーになったばかり。これまでの戦績は1勝0敗、間もなく第2戦を控えている。練習が終わるたび、ケイコはリングの下で小さなノートに何かメモを取っている。何が書いてあるかは分からない。

 

年明けの第2戦。ケイコはかろうじて判定勝ちをした。しかし満足のいく勝ち方ではない。母親はそんなケイコを心配し、

 

「もう十分じゃないの?」

 

と言う。母親が撮影した試合の写真は、ほとんどがブレてまともに映っているものがない。怖くて見てられないのだ。これからどうするか、ケイコにも迷いが生じ始める。

 

「一度お休みしたいです」

 

というメモを書くのだが、事務の会長になかなか渡せないでいた。いったい何のためにボクシングをやっているのか、本人にも分からないのかもしれない。ただ、第3戦もすでに2か月後に迫っていた…。

 

 

監督は「きみの鳥はうたえる」の三宅唱。実在のプロボクサー、小笠原恵子さんがモデルだという。

「彼女の生き方について考える時間が、世界の捉え方が少しずつ変化するきっかけになり、また自分自身の生き方も自然と見つめなおす機会になり、それが活力になったような気がします。そういう映画を作りたいと常々思っていました…。」

 

第2戦の勝利のあと、事務の会長(三浦友和)が記者にインタビューを受けるシーンがある。「プロ選手になれたのはケイコさんに才能があったからでしょうか?」という問いに会長はこう答える。

 

「才能は、ないねえ。小さいし、リーチは短いしスピードはないし。でもね、人間としての器量があるんですよ。素直で率直で」

 

 

この映画は少し変わった作り方をしている。ケイコの紹介の時、ある種のドキュメンタリー映画のように、文章をテロップで見せる。また場面につける音楽は一切なく、映画の本質的なところで耳が聞こえないことが邪魔にならないようにできている。逆に手話で雑談しているような場面は、説明のテロップはない。

 

3戦目が近づく中、ジムに閉鎖のうわさが流れる。会長の体調が思わしくないのだ。ケイコはこの会長がいたからここでボクシングをしているのかもしれない。みていると心が自然に通っているのが分かる。

 

ケイコの書いた日記風のノートに、ジムの閉鎖について書かれた言葉がある。

 

「許せない…」

 

この作品は、「ハレ」を描く「映画らしさ」というものを捨象して、ケイコの日々の感情に寄り添う。そこには観客にとって分かりやすいものは映らないが、「目を澄ます」と見えてくるものがある。それはケイコに投影した自分自身かもしれないし、これまで生きてきてこれからも生きてゆく理由かもしれない。

 

いずれにしても「目を澄ませて」と呼び掛けているのはケイコにではなく、観客に対してなのだ。そのことは強く伝わってくる。

 

監督・脚本三宅唱

主演:岸井ゆきの三浦友和、松浦慎一郎
日本  2022/ 99分

原案:「負けないで!」小笠原恵子著(創出版

映画『ケイコ 目を澄ませて』公式サイト (happinet-phantom.com)

 

あのこと


あのことは決して誰にも話してはいけない。口にしただけで人は顔を背けて遠ざかってしまう。それが仲の良い友達であっても。

 

アンヌ(アナマリア・ヴァルトロメイ)はフランスの大学生。教師からは一目置かれる優等生だが、夜の酒場では友人たちとフランクに過ごす。寮で暮らしているため、真面目なクラスメイトからは非難を受けることもある。どこにでもいそうな学生だが、時代は1960年代のフランスであることが問題だ。

 

ある時、アンヌは自分の妊娠に気づく。医者に告げられた後の第一声は、

 

「不公平よ!」

 

だが、医者は何ともすることが出来ない。この時代のフランスは中絶が違法であるばかりか、助言や斡旋する人間にも懲役と罰金が科せられる。しかしアンヌには産むことは眼中にない。

 

「子どもはいつか産みたいけれど、人生と引き換えはイヤ。愛せなくなるかもしれない」

 

医者はもちろん、関わり合いになりたくない友人たちは、打ち明けられた瞬間にその場を去ろうとする。ここまで極端なのだろうかと思うほどだ。ここからアンヌの孤独で壮絶な戦いが始まる…。

 

 

監督はオードレイ・ディヴァン。今年ノーベル文学賞を受賞したアニー・エルノーの「事件」を原作にしたこの作品は、去年のヴェネチア国際映画祭金獅子賞を獲得した。

 

「中絶だけがこの作品の主題ではありません。主人公アンヌは社会的反逆者です。労働者階級の出身で、家族の中で初めて大学に進学しました。…アンヌはすべての希望を打ち砕くかもしれないある秘密を抱えながら、自分がいた世界と別の世界を行き来します。20歳にして、自分の居場所を探す運命に直面し、自分の未来が常に危険にさらされたとき、どんな行動をとるのでしょうか?」(オードレイ・ディヴァン監督)

 

アンヌの両親は近郊で、民宿のようなものを営んでおり、週末は家に帰って手伝いをしている。アンヌは両親の誇りであり、それをアンヌ自身もよく分かっているからこそ、ここで中退することなどできないと思う。必死になって伝手を探そうとするがうまく行かず、どんどん成績が下がってくる。

 

妊娠させた相手は行きずりの男で近くにはいない。妊娠はしょせん他人事で、アンヌがひとりで何とかするだろうとしか思っていない。アンヌは絶望のあまり、自分で火搔き棒のようなものを差し込んで堕ろそうとするが…。

 

 

カメラはアンヌのそばから離れず、アンヌを近接距離で映しながらアンヌと同じ目線で世界をみる。この追体験感覚が、映画の後半、肉体的な痛みを伴って映画を見る人間を襲う。まるでホラー映画のようであるが、これは原作者のアニー・エルノーが、あるいはその時代の多くの女性が、または今もどこかで誰かが経験している、紛れもない事実なのだ。

 

撮影に入る前、アニーは監督のオードレイにチェーホフの言葉を送ったという。

 

「正直であれ。あとはどうにでもなる」

 

 

監督・脚本:オードレイ・ディヴァン
主演:アナマリア・ヴァルトロメイ、ケイシー・モッテ・クライン、ルアナ・バイラミ
フランス  2021 / 100分

原作:アニー・エルノー「事件」(ハヤカワ文庫)

ABOUT THE MOVIE|映画『あのこと』 公式サイト (gaga.ne.jp)

 

ある男


山間の集落にある古びた文房具店。店番の女性(安藤サクラ)が品物に触れているが、何をしているか分からない。心はここになく、やがて突然涙があふれる…。そこへ若い男性客(窪田正孝)が入ってくる。男性客はこのあたりの人間ではないようだったが、この日から何度もこの文具店を訪れてはスケッチブックを買ってゆく。

 

文具店の女性(里枝)は子どもを病気で失い、離婚して実家に戻ってきたばかりだった。やがて、彼がスケッチブックに様々な風景を描いていることを知り、言葉を交わすようになる。男の名前は谷口大祐。村の林業を営む会社に雇われていた。ある時、大祐は里枝に、

 

「友だちになってくれませんか」

 

と話しかける。答える代わりに里枝は名前と電話番号を書いた紙を渡す。

 

「いつでも連絡をください」

 

時がたち、里枝はもう一人の子どもを連れて大祐と再婚。女の子も生まれ幸せに暮らす日々が続いた。ある日伐採作業中の事故で大祐が亡くなってしまう。しかし、疎遠だった大祐の兄が家を訪れ遺影をみるや、「これは大祐ではない」と断言する。里枝は「これは大祐さんです」と言うのだが…。

 

 

監督は「愚行録」の石川慶。原作は平野啓一郎の同名小説。

 

「今、『親ガチャ』という言葉がよく使われますが、どこの家の、どの親から生まれてくるのか、その状況を変えられないという現実があります。日本の場合、戸籍制度があり、自分のアイデンティティを登録され、そこが変えられないことから生きていく上で障害を負うといいますか、マイナスから始まったという自覚の人がいる。そういう境遇下の人は、今いる場所から解放されて、違う人生を生きたいという気持ちが強く芽生えるんじゃないか。そこが『ある男』の発送の起点となりました。」(平野啓一郎

 

大祐はいったい何者だったのか。里枝は離婚のときに世話になったという、弁護士の城戸章良(妻夫木聡)に頼んで大祐の過去を調べてもらうことにする。実は途中から参加するこの城戸が、物語の主人公である。

 

 

城戸は在日韓国人の3世で今は日本に帰化している。しかし妻の両親は無意識に在日外国人を差別している人間で、そのことが城戸に自身のルーツをいつも思い起こさせる。城戸は形は日本人だが、深いところで民族的なアイデンティティを持ち、自分は何者か絶えず問い続ける人物として設定されている。そしてそのために、生まれたままの自分とは別の人生を生きようとした大祐に、次第に共感を寄せていく。

 

「私」とは何か。自分は誰なのか。その問いに答えることは誰にとっても難しい。城戸は戸籍交換を商売にしている小見浦憲男(柄本明)を刑務所に訪ねる。小見浦は、城戸に言う。

 

朝鮮人のくせにオレを詐欺師だと見下してオレの言うことを信じやしない。オレを差別主義者だと思ってるだろうが、おまえの方が差別主義者だ。…一つだけ教えてやろう。何でオレを小見浦と思うんだ。戸籍の斡旋をしている人間がどうして自分の戸籍をそのままにしてると思うんだ」

 

 

他人の目に映らない本当の自分の姿。誰しもそういうものがある。原作者の平野啓一郎は、状況や相手によっていくつもの「本当の自分」がいるというが、自分にも知られない「本当の自分」がいるかもしれないのだ。そういう「見知らぬ自分」をのぞき込むことは恐ろしい。しかし大祐は苦しみの中で、「見知らぬ自分」に賭けた。過去を捨て去るとはそういうことだと思う。彼は新たな「見知らぬ自分」になり得る可能性に賭け、かけがえのないものを手にすることが出来たのだ。

 

妻夫木はインタビューで、

 

「自分に守るべき者ができたとき、どう生きるのかをみなさんに投げかけた映画だと思っています」

 

と語っているが、それは、あなたは「見知らぬ本当の自分」を見つめる勇気がありますかと問うているのだ。

 

監督:石川慶
脚本:向井康介

撮影:近藤龍人

主演:妻夫木聡窪田正孝安藤サクラ
日本  2022/ 121分

原作:「ある男」平野啓一郎著(文春文庫)

映画『ある男』公式サイト | 11月18日(金)全国ロードショー (shochiku.co.jp)