映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

エンドロールのつづき

インドの西、グジャラート州の田舎町。線路沿いにすむサマイ(9歳)は、駅の小さなチャイ屋台で父親を手伝っている。列車が到着すると客にチャイを売るのだ。めったに列車の来ない線路は子どもたちの遊び場だ。打ち捨てられた様々なものを使って、時に列車に轢かせてぺしゃんこにして、矢じりのような遊び道具も作ることが出来る。

 

町に家族で映画を見に行った日、サマイは観客席の後方から流れる光の束に気づき、その不思議さにすっかり魅了されてしまう。翌日映画館に忍び込んで叩き出されるが、映写技師のファザルは、サマイの持っているお弁当と引き換えに映写室の窓から映画を見せてくれることに。この日から映画とサマイの蜜月が始まる。

 

 

サマイの母親が作るお弁当は何とも美味しそうである。料理の様子も含めて何度か登場するが、パンフレットにはレシピが載っているので料理が好きな人も楽しめる。チャイの屋台を営み階級はバラモンの父親は、なぜか映画を低級な仕事と見ていて、サマイの言動にいい顔をしない。

 

サマイというのは「時間」という意味だそう。映写技師のファザルにサマイは言う。

 

「お父さんとお母さんには金も仕事もなかった。あるのは時間だけだった。だから僕が生まれたとき、サマイと名付けたんだ。」

 

監督・脚本はインドのパン・ナリン。自伝映画だという。

 

「実際に母も料理上手で、父は田舎町の駅でチャイを売っていました。そこはだだっ広い野原と果てしなく広がる空しかないような場所で、列車以外は遠くの空に飛行機が見えるだけ。その飛行機だけが外の世界とのつながりでした。」

 

 

サマイはやがて映画を仕事にしたいと思うようになる。駅に到着する映画のフィルムを仲間と盗んで、自分たちで上映することが出来ないか、試行錯誤を始める。少年のサマイは、映画の内容よりもむしろ技術的なことに強く惹かれている。それは映写室から映画を観るという体験と無縁でないかもしれない。

 

しかし映画が途中で終わってしまったり、いい場面が切れてしまったりすることに観客たちが騒ぎ始め、フィルムが到着するサマイたちの駅に警官がやってくる…。

 

 

映画の終盤、時代が映画上映技術としてのフィルムを追い越し、捨て去ってゆく。サマイは大量のフィルムが捨て去られるありさまを目撃し、ある決意をする。

 

「光を勉強したいんだ。光が物語を写し、物語が映画を産む。」

 

大切なものを守るために、大切なものを守る力が必要なのだ。彼は何を守りたいのか。そしてそのために必要な力とは?インドの片田舎で生まれたある映画少年の、無邪気で前向きな力強さに思わず感動を覚える。

 

 

監督・脚本・プロデューサー:パン・ナリン
主演:バヴィン・ラバリ、バヴェーシュ・シュリマリ
インド・フランス  2021 / 112分

映画『エンドロールのつづき』公式サイト|2023年1月20日(金)公開 (shochiku.co.jp)