映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

すべてうまくいきますように


作家のエマニュエルは、執筆中の自宅で電話を受けると急いで部屋を飛び出す。あわててコンタクトレンズを忘れ、取りに帰るほど我を忘れている。向かったのは病院。父親が脳卒中で倒れ、運ばれたのだ。しかし父親は元気そうで、不自由はあるが命に別状はなさそうだ。

 

ほっとしたのもつかの間、便も入浴もままならない入院生活が続くと父親のアンドレはエマニュエルに向かって言う。

 

「終わりにしてくれ こんな姿は私ではない」

 

つまり、尊厳死を願っているのだ。エマニュエルは驚き悲しがるがそのことについて父親を説得しようとはしない。しても無駄だとわかっているのだろう。子どものころからさんざんこの唯我独尊の父親には苦い思いを味わされてきた。

 

尊厳死は可能なのか? エマニュエルは、尊厳死を願った夫が実行する前に死んだという友人を訪ねる。エマニュエルは最低の父親だったといいながら彼のことを好きだと語る。

 

「友達だったら良かったのに」

 

と言うと

「友達として手伝ってあげればいいの」

 

と言われる。フランスでは違法のため、エマニュエルはスイスの団体を探し出し連絡を取るが・・・。

 

 

監督はフランソワ・オゾン。原作は自身の体験を描いたエマニュエル・ベルンエイムで、エマニュエルはオゾン監督とは「スイミング・プール」などいくつもの作品で脚本を共同執筆している。この映画はエマニュエルが病気で亡くなってからオゾン監督が映画化した。

 

アンドレの病状は回復を見せているようだが内面はまったく違っていた。

 

「(アンドレの)最大の不安は正気を失って、自分自身の死を決めるために必要な自由意志を失うんじゃないかということなんだ。はっきりした意識で決断する能力を失えば、娘たちはもう旅の計画を立てることができなくなるだろう。運命の日に近づくにつれて、緊迫感が高まってくる。彼は計画をまっとうするんだろうか?気を変えるだろうか、それとも一歩も譲らないだろうか?とね。」(オゾン監督)

 

印象深いエピソードがある。スイスの団体の代表に会ったエマニュエルが、尊厳死の最期の日にやめた人はいるんですかと聞くと、一人だけいると答えたのだ。

その人は重病で高齢だった。奥さんは年の離れた若い人で、最期の日に夫婦で街を歩いて奥さんに赤いドレスを買った。その夜、赤いドレスを着た妻を見て、そのあまりの美しさに生きることを選んだ、という。

 

 

一方アンドレの決意は固く、意思を曲げそうにない。エマニュエルは妹とともにアンドレをスイスに移送する計画を練る。

 

人は、自分が自分である基準がある。客観的にみると妙なことや愚かなこと、世間の常識と反することでもあえて突き進んでしまうことがある。尊厳死は決して愚かではないが、アンドレがこの人生で、自分が自分でいられる自己イメージはもう決まってしまっているのだ。

 

そのように生きてこられたというのは、うらやましくもあるが、反面、弱った自分をまったく受け入れられないというのはこれまでどんな人生だったのかと、少し考えてしまう。そんな父親に愛憎半ばの娘役を、ソフィー・マルソーが好演している。

 

監督・脚本・フランソワ・オゾン
主演:ソフィー・マルソーアンドレ・デュソリエシャーロット・ランプリング
フランス・ベルギー  2021 / 113分