映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

きみはいい子

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人間はもともと邪悪なものなのだろうか。それとも人間はもともと善きものなのだろうか。

 

仏壇にお茶をあげ、自分もゆっくりと飲む。お婆さんがひとり、縁側で桜の花びらが舞い落ちるのに気付く。6月だというのに。玄関の呼び鈴に出てみると、若い男性がひたすら謝っている。近くの小学校の教師だという。自分のクラスの生徒が呼び鈴を鳴らしてまわっているのだ。しかし、お婆さんにとってはそんなことはどうでもいい。桜の花びらが頭の中で見えない春を告げている。

 

小学校の教師は新米で岡野という。担任する4年のクラスはほぼ崩壊している。甘い顔を見せれば子どもたちはつけあがり、厳しくすれば親から苦情が飛んでくる。いじめの兆候を知らされてもなすすべがなく、もはやどんなに怒っても生徒は言うことを聞かない。夕方5時まで校庭に一人残る子供がいることにも、なかなか気づかない。

映画はこの新米教師岡野と、認知症のお婆さん、そしてもう一人主人公がいる。同じ町の公園に毎日のように娘を連れてくる主婦、雅美。

 

雅美は公園のママ友仲間には笑顔を見せるが、いったん部屋に入ると娘をはげしくぶつ。そのことに自己嫌悪を感じながら止めることが出来ない。雅美の手の甲にはタバコの火を押しつけられた丸い跡が二つある。自分も子供のころ虐待を受けていたのだ。

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人間はもともと邪悪なものなのだろうか。それとも人間はもともと善きものなのだろうか。映画のテーマとは直接関係がない。しかしそのような問いが心に浮かぶ。痣を作るほどに子どもを殴り続ける、タバコの火を押しつける、食事を与えない・・・。そのような親はもともと邪悪なのだろうか。それともどこかで変質したのだろうか。

 

監督は『そこのみにて光輝く』で脚光を浴びた呉美保。原作は中脇初枝。『きみはいい子』という短編集の中から三篇を選んで一本の映像に紡いだ。同じ町に住むという以外ほとんど関係のない三人だが、子どもに向き合う大人というテーマの元に驚くほど自然につながっている。

 

この映画のスタンスは明らかだ。人間の持つ善きものに対する暖かな信頼がある。声をかける、抱きしめる、それだけで人は変わってゆく。子どもも、大人も。

原作の中脇初枝はこう書いている。

 

「わたしは、高知の四万十川のほとりで、近所の人たちから『べっぴんさん』と呼ばれながら大きくなりました。わたしがべっぴんさんだったからではありません。その当時、あの川べりの町に暮らしていた女の子たちは、みんなそう呼ばれ、近所の人たちに見守られていました。そのときはそれがあたりまえのことだと思っていましたが、今になって、なんて幸せな子ども時代だったのだろうと気づきました。」

 

推測するに、人間の心の中にはもともと邪悪なものと善きものが入り交じってある。生まれ落ちたとき、人は不安のただなかにいる。このまま放置すると邪悪なものに心が占められてしまう恐れがある(よほど強い人間でないと)。なぜなら善きものは安定した感情の中でこそ育つからだ。だから大人は子どもが安心できるように暖かな声をかけ、抱きしめるのだ。

 

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 言うことを聞かない生徒たちに振り回され、疲れ果てた新米教師岡野。ある時そんな岡野を見て、姉が4歳の息子に言う。

「ねえ、蓮、おじちゃんね、疲れちゃったんだって。『がんばって』ってしてあげな。」

岡野は恥ずかしがるが、蓮は膝の上に乗ると岡野を抱きしめるようにして、小さな手で背中をぽんぽん叩く。「がんばって」。ぽんぽん叩き続ける。「がんばって。がんばって。がんばって。」岡野は驚き、なんとも言えない表情を見せる。抱きしめられて優しい気持ちになるのは子どもだけではない。大人もだ。

 

「私があの子に優しくすれば、あの子も他人に優しくしてくれんの。だから、子どもをかわいがれば、世界が平和になるわけ。ねえ母親って、すっごい仕事でしょ?」

 

だが振り返ってみて改めて思う。自分が苦しいとき、抱きしめてくれる人がいるだろうか。そして誰かが苦しんでいるとき、抱きしめてあげることができるだろうか。

 

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父親に言われ夕方5時まで家に入れない神田さんは、いつも校庭の隅の鉄棒の下でしゃがんでいる。ふとしたことから岡野は神田さんと話をするようになる。神田さんは自分が悪い子だからうちにサンタが来ないという。父親にそう言われているのだ。

 

「どうしたらいい子になれるのかな。」

 

神田さんの両親は休みの日も神田さんに朝と昼のごはんを作らない。だから神田さんは給食を楽しみにしている。毎日の献立を暗記するほどに。いつもおなかをすかせ5時になるのを鉄棒の下で待つ。そんな神田さんが学校に来なくなった・・・。

 

映画の最後に岡野は走り出す。神田さんの家に向かって。一度怒鳴られて引き返した父親がいるアパートへ。走る岡野の周りに桜の花びらが舞っている。あのお婆さんだけに見える花びらだ。

岡野は神田さんのアパートの扉の前に立つ。扉を叩く。そのとき映画は暗転する―。監督も観客である私たちも、その先が簡単に進まないことを知っている。それでも願わずにはいられないのだ、おそらく。ひとは働きかけで変わるということを。

 

監督:呉美保

脚本:高田亮

主演:高良健吾尾野真千子池脇千鶴      2015/121分

公式サイト

http://iiko-movie.com/index.html

f:id:mikanpro:20150715211436j:plain 原作「きみはいい子」中脇初枝著 ポプラ文庫

 

ちょっとひと息

今回の映画は大阪のテアトル梅田で見ました。茶屋町という繁華街にあってテアトル新宿と同じように地下に降りる映画館です。関西ミニシアターの草分けだそう。茶屋町の繁華街を抜けJRの線路を越えると中崎町。ここは打って変わって昭和の下町風情が残る一角です。その路地に「アラビク」という古本カフェがあります。昭和4年に出来た長屋を利用しているそうです。古本をはじめギャラリーには金子國義などの絵も飾られています。珈琲は天秤ブレンドが600円。飲んだ後にスッとした舌触りが残る美味しい珈琲でした。アート好きにおススメです。☕☕

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