残像
ポーランド。なだらかな草原で絵を描く学生たち。そこにひとりの女学生が訪ねてくる。
「ストゥシェミンスキ教授は?」
「あそこにいますよ」
指さす方を見ると、丘の上に松葉杖をついた初老の男がいる。
「見ててごらんなさい」
男は斜面を寝転がりながら降りてくる。丘の上にいた学生たちも、それを見ると次々に寝転がって降りてくる。笑い声が草原にこだまする。訪ねてきた学生の前に立つと男は言う。
「ウッチ造形大学、ストゥシェミンスキの課外授業にようこそ!」
男はヴワディスワフ・ストゥシェミンスキ。20世紀前半に実在したポーランドの前衛画家だ。ある時、自宅でキャンバスに絵を描こうとすると、キャンバスが白から赤に変色していった。みると窓の外にスターリンの巨大な垂れ幕が掲げられようとしていたのだ。驚き怒ったストゥシェミンスキは窓を開け、垂れ幕を引き裂いてしまう。警察は即座に彼を連行してゆくが…。
監督は去年90歳で亡くなったアンジェイ・ワイダ。最後の作品である。舞台は第2次大戦後、スターリン主義が浸透していくポーランド。
「『残像』は、自分の決断を信じ、芸術にすべてをささげた、ひとりの不屈の男の肖像です。…私は、人々の生活のあらゆる面を支配しようと目論む全体主義国家と、一人の威厳ある人間との闘いを描きたかったのです。」
ストゥシェミンスキは国家の意向に沿った創作を拒否、次第にポーランドで地位を失ってゆく。どうして同じ方向に向かないのかと、当局者はいぶかる。しかし、周囲と同じ方向を向かないのが芸術家なのだから、求める方が間違っている。(日本はこれが間違いであるという社会でありつづけて欲しいが)
かつて金子光晴が書いた詩句を思いだす。
侮蔑しきったそぶりで、
ただひとり、
反対をむいてすましてるやつ。
おいら。
おつとせいのきらひなおつとせい。
だが、やっぱりおつとせいはおつとせいで
ただ
「むかうむきになつてる
おつとせい」
さらに間違っているのは同じ方向を向かない人間、「むかうむき」の人間を迫害することだ。ストゥシェミンスキは大学での職を失い、信奉する学生のあっせんでようやく得た看板描きの仕事も取り上げられてしまう。そしてついには、食べることもままならず、飢えから皿をなめるようにまでなるのだ。
当局に「あなたはどちら側なのだ」と問われたとき、ストゥシェミンスキは即座にこう答える。
「私の側だ」
そして歩き去りながら、再び自らに確認するようにつぶやく。
「自分の側なんだよ」
ストゥシェミンスキは、苦境に陥っても少しも妥協しない。彼を助ける女学生が捕まり、協力しなければ彼女を「痛めつける」と脅されても決して意思を曲げることがない。この世界で彼は敗北者である。しかしワイダは一貫しておのれの理想に殉じる敗北者を描いてきた。それは決して人生の敗北ではないという意思を込めて。
彼が学生たちに教える絵画理論にこういうものがある。
「人は認識したものしか見ていない」
ということは、認識せずに見ていないものがある、ということだ。勝手に解釈すれば、見ていない世界になにがしかの真実が隠れているかもしれず、そのことに少しは思いをはせるべきだと語っているのだ。そして社会というものもそうなのだ、と。
「一人の人間がどのように国家機構に抵抗するのか。表現の自由を得るために、どれだけの対価を払わなければならないのか。全体主義国家で個人はどのような選択を迫られるのか。これらは過去の問題と思われていましたが、今もゆっくりと私たちを苦しめ始めています。」
遺作「残像」に寄せたコメントでワイダはこう語り、次のように続く。やはり、遺言というべきものだと思う。
「どのような答えを出すべきか、私たちはすでに知っている。そのことを忘れてはならないのです。」
監督・脚本:アンジェイ・ワイダ
主演:ボグスワフ・リンダ、ゾフィア・ヴィフワチ
ポーランド映画 2016 / 99分
公式サイト