映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

ハナレイ・ベイ

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仕事が忙しくなかなか映画を見ることが出来なかった。久しぶりに見たのが村上春樹原作の「ハナレイ・ベイ」だった。

 

ハワイ・カウアイ島のハナレイ湾。美しい入り江の風景は、フラの曲にもたびたびうたわれているという。早朝、日本人の青年がサーフボードに身を預け、海に漕ぎ出す…。鳴り響く電話の音。サチはカウアイ島にやってくると、息子の遺体と対面する。右足は無残に失われている。サメに襲われたのだ。

 

サチは遺骨を持って帰国しようとするが、ふと思いついて滞在を延ばし、息子が亡くなったビーチに座って海を見つめる。1週間。そして毎年同じ時期にここを訪れビーチを眺める。10年間。ある時二人の若い日本人サーファーと知り合い、ハナレイ・ベイに片足のサーファーがいるという話を聞く…。

 

村上春樹は、自分にとって大切な何かを失ってしまった人のかなしみを繰り返し書いているが、この小説もそうである。そのかなしみのなか、生きながらえるために必要なのは、どうにか時間をやり過ごすことだ。それが出来れば再び生きなおすことが出来るかも知れない。時間が大きな波のようにあらゆるものを押し流してゆく。しかし10年経っても流れて行かないものがサチの中にある。朽ちて川面に顔を出す杭のように。                 

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監督は、「トイレのピエタ」の松永大司


「(映画製作の)根底には生きること死ぬことがあるんです。とは言っても、日々、生きていることに感謝とかそういうことではなく、ふとした瞬間に、死んだ人のことや死んだ事実に向き合うと、いま自分が生きている時間に感謝したり世界が輝いて見えたりする。…サチにとって息子の死は当然、悲しいことですが、何か新しい力になればいいとも思っていて。」

 

原作と違って、映画ではかつての夫や息子の具体的なシーンを提示することで、サチの内面をより複雑にしている。DVの夫。何かというと反抗する息子。嫌いだったけど愛情を抱いているという分かりにくい感情を吉田羊の内面を探らせない表情がうまく伝えている。自分には片足のサーファーが見えないことに絶望してサチが叫ぶように言う。

 

「息子を嫌いでした。でも愛しています。ハナレイ・ベイは私を受け入れてくれない。それでも私は受け入れないといけないのでしょうか。」

 

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息子の遺体を確認した日、警官が語った言葉がある。

 

「できることならこう考えてみてください。息子さんは大義や怒りや憎しみなんかとは無縁に、自然の循環の中に戻っていったのだと」

 

息子は「自然の循環の中に戻っていった」。サチはそのことを理解するために、この場所を繰り返し訪れる。それが「ハナレイ・ベイを受け入れる」ということかもしれない。たとえ相手がかたくなに拒んだとしても。

 

映画の終盤、夫の遺品であり、息子が好んで使っていた古いウォークマンをサチが聞いてみるシーンがある。このシーンの吉田羊はたとえようもなく美しい。癒えないかなしみが希望につながるかもしれないと、とても静かに語っている。                                                     

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脚本・監督・編集:松永大司
主演:吉田羊、佐野玲於村上虹郎
原作:「ハナレイ・ベイ」村上春樹

日本  2018 / 97分

公式サイト

https://hanaleibay-movie.jp/