映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

ある画家の数奇な運命

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1937年、ドイツ・ドレスデン。少年クルトは叔母エリザベトに連れられて美術館に来ている。そこではカンディンスキーなど、抽象画の世界を否定する学芸員の説明が行われていたが、エリザベトは「これが好きなんだけど」とクルトにささやく。

 

その帰り、エリザベトは並んだバスの前に立ち、運転手に一斉にクラクションを鳴らすようにお願いする。続けさまのクラクションの咆哮。恍惚となるエリザベト。見つめるクルト。

 

しかし、やがて精神のバランスを崩したエリザベトは強制入院させられ、ナチスによってガス室に送られる。叔母が強制的に連行されてゆく様を、少年クルトはじっと見つめているが…。

 

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時代が移り、戦後東ドイツとなったドレスデン。絵を描くのが好きなクルトは、美術学校に通い始める。そこで恋に落ちたのは、叔母と同じ名前のエリザベトだった。しかし、エリザベトの父親は、実は叔母を安楽死させるようサインしたナチスの医師だった。

 

この映画は、現代最高のアーティストと言われる、ゲルハルト・リヒターをモデルにした実話だという。3時間の長編だが、時代の波に翻弄されながら生きるある芸術家の半生を描いて飽きさせない。監督は「善き人のためのソナタ」のフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク。なぜリヒターに興味を抱いたかについてこう語っている。

 

「リヒターの妻の父親が筋金入りのナチで、親衛隊中佐であり、安楽死政策の加害者だったと知ったからだ。リヒターの叔母は、その安楽死政策によってナチに殺害された。しかし、義父は処刑されるどころか、ソ連の捕虜収容所に3年いた後、そこの司令官の妻が難産だった時に、その妻の命と子供を救ったことから釈放された。」

 

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これらのことはすべて映画に描かれるが、クルトは義父が叔母を殺したナチの高官だとはなかなか気づかない。単にいけ好かない官僚的な人間という印象だ。絵描きという職業になんの価値も見出していない義父は、ことあるごとにクルトに冷たく当たる。

 

東ドイツ社会主義的な壁画を描き、認められ始めるクルトだったが、何かが違うと思い始める。やがて妻となったエリザベトを伴い西ドイツに亡命、デュッセルドルフの芸術アカデミーに入学する。ここは現代芸術の巣窟のようなところで、みな自由に何かを創作していた。

 

思った通りのものを創る毎日のクルトだったが、何かが違う…。クルトはあるとき教授に自身の作品を見てもらう機会を得る。だが教授はこう言い放つ。

 

「お前は何者だ」

 

教授は戦時中、爆撃機が墜落し頭に大火傷を負うが、爆撃しようとしていたタタール人に救われる。その時タタール人が頭に塗ってくれた油が、今の自身を形作ったと語るのだ。

 

クルトはその後、白いキャンバスの前に何日も座り込むことになる。そして自身の独創的な絵画を思いつくのはほんの偶然の出来事だった…。

 

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自分の内なる声に耳を傾け、理由は分からないが今とは違うことをしなければならないと思う。そしてそれを実行する。その信念の強さに驚く。実行するための様々な障害が人をひるませるのが普通だからだ。

 

さらにその道を歩むためにもまた壁が待ち受ける。それらの壁を乗り越えるために芸術家は己に問わなければいけないという。

 

「お前は何者だ」

 

と。

 

クルトはリヒターをモデルとしているから、世界的な賞賛を浴びることになるのは分かっている。しかしクルトのように生きて、リヒターのように成功しない人の方がはるかに多いのだと想像する。そしてそのことは決して不幸なことではない、ともこの映画は語っている。

 

なぜなら、クルトの前半生が、芸術抜きでとても充実したものとして描かれているからだ。妻となったエリザベトとの長い蜜月は、ある芸術作品のように美しい。

 

監督・脚本フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
主演:トム・シリング、パウラ・ベーア、セバスチャン・コッホ
ドイツ  2018 / 189分

公式サイト

https://www.neverlookaway-movie.jp/