映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

汚れたミルク あるセールスマンの告発

f:id:mikanpro:20170318093341j:plain

回想は自らの結婚式で始まる。パキスタンの下町。自宅に花嫁を迎えたアヤンは、2階の部屋から隣家に声をかける。窓越しに隣家のテレビでインド映画を見るのだ。パキスタンの庶民の暮らしなのだろう。窓の前に二人並ぶ姿がなんとも慎ましい。

 

アヤンの仕事は製薬会社のセールスマンだ。国産の薬は医者に受けが悪い。アヤンは思い切って多国籍企業の試験を受け合格する。与えられたのは粉ミルクを病院に納品する営業だった。持ち前のセールスセンスと企業の資金で、着実に医師たちに食い込んでゆくアヤン。ある時、自分が売っている粉ミルクを飲んだ乳児が、死亡する事件が相次いでいることを知る。アヤンは仕事をやめ企業を訴えようとするのだが…。

 

映画はパキスタンで起きた実話だそうだ。パキスタンの貧しい地域では、粉ミルクを不衛生な水で溶かして飲ませるため、乳幼児が死亡してしまう。企業はそれを知りながら買収した医師を通じて粉ミルクを売り続け、今も子どもたちが亡くなっているという。

                                         

監督は「鉄くず拾いの物語」のダニス・タノヴィッチ。

「映画の中で述べたように、これは昔からの問題で、いつまでも繰り返されています。粉ミルク製造業者は、粉ミルクを与えられた赤ん坊が、母乳を与えられた赤ん坊より病気になりやすいこと、貧困の場合死ぬ可能性が高まることを知っています。それでも事態は変わらないのです。」
  

                                                                               f:id:mikanpro:20170318093456j:plain                  

アヤンはなぜ大企業を訴える勇気を持ち得たのか。

 

「自分の信念に背く夫を尊敬できない」

 

と妻に言われたからだ。シンプルな話だ。アヤンは一人ではない。父と母、妻、そして小さな娘。それらの関係の中でアヤンは生き方を定め、行動する。その意味でこれはアヤンの家族の物語でもある。

 

アヤンは自らと家族の身に危険が及ぶと、人権組織に助けを求める。人権組織はドイツのテレビ局を通じてこの問題を世界に知らしめようとするのだが、アヤンのある秘密が暴露され、放送は中止になってしまう…。

 

f:id:mikanpro:20170318093549j:plain


この問題が今も続いていることに驚くが、その要因の一つはマスメディアが報じないということにあるのだろう。ドイツのテレビ局はアヤンの秘密を知って放送を中止したというが、アヤン抜きでも調査報道は出来た筈だった。しかし中止したのは相手が巨大企業であったからだ。この映画も、大きな枠として映画製作者たちがアヤンの証言を聞くという構成になっている。客観的な視点をあえて入れ込まないと訴えられるというのが理由のようだ。

 

この映画のパンフレットに載せられていた言葉が、とても印象に残っている。

  

「巨悪として描かれる企業だが、その一人ひとりの保身や怒りや正当化や諦めは、どれも経験あるなじみ深い感情だった。悪とは目をつぶる弱さの集合体なのだ。」
(末永絵里・乳児用液体ミルクプロジェクト代表)

 

私たちは小さな存在に過ぎない。それでも目を開き小さくでもつぶやく勇気が持てれば、と思う。

 

監督:ダニス・タノヴィッチ
主演:イムラン・ハシュミ
原題:Tigers
インド・フランス・イギリス 2014 / 94分
 
公式サイト

http://www.bitters.co.jp/tanovic/milk.html