自然が素肌に触れてくる。柔らかな木の感触ではなく、ごつごつした岩の感触。吹き抜ける風が海の匂いを湛えている。暗闇が漆黒に染まる。眠れない女の子がおしっこに起きる。便器にしゃがんだ女の子の周りに家族が集まる。やがて小さな音がする…。イタリア中部の村はずれ。隣家も見えない一軒家に家族6人が暮らしている。その、ひと夏の物語である。
13歳のジェルソミーナを筆頭に女の子ばかりの4人姉妹。父親は昔ながらの養蜂で蜂蜜を作っている。娘たちはそれを手伝う。ある時、テレビ局がこの地方の特産を紹介するため、「不思議の国コンテスト」への応募を呼びかけに来る。ジェルソミーナは参加を訴えるが、父親はなぜか大反対。我慢しきれなくなった彼女は内緒で応募するが…。
監督・脚本はアリーチェ・ロルヴァケル。ドキュメンタリー作品から映画製作をスタートさせ、これが長編2作目。この作品でカンヌ国際映画祭グランプリを受賞した。物語の舞台は自身の故郷だという。
「この夫婦がこの人里離れた地で何をしているのかというと、娘たちを守ろうとしているの。夫婦はあらゆるものが荒廃し、崩壊し、腐敗するのを見てきたから、田舎こそが救いの場で、家族が一緒にいることで救われると信じている。」
映像が柔らかな皮膚の感触を刺激する。触れてくる映画だ。遺跡の上を歩く足裏の痛み。こぼれ落ちた蜂蜜をすくうジェルソミーナのとろりとした手のひら。口の中に含んだミツバチが舌の上を動き回るその細い脚のぎざぎざ…。ジェルソミーナは暗がりの納屋に差し込む陽の光を、妹に「すすって」と命じる。妹は陽の光を手のひらに受けすする。もっと。もう一度すする。もっと…。
しかし、テレビという文明が入り込んできた時、ジェルソミーナに別の世界へのあこがれが芽生える。
監督はロベルト・インノチェンティの「百年の家」という絵本に多くのインスピレーションを得たという。1656年に建てられた古い石の家。20世紀の初め、崩れかけたこの家に再び住み着いた人々がいた。2度の戦争を経て、寡婦となった母親が静かに亡くなったとき、この家の歴史も幕を閉じる。受け継ぐものがいないのだ。
いままでの暮らし方を継がない。それが新しい世代だ。
だが、若さだけで、この家の古い石は、とりかえられない。
(「百年の家」)
映画の父親は何から娘たちを守り、何を受け継がせようとしているのか。結局本人にもよくわかっていないのだろう。
「田舎や小さな町を思い浮かべる時、大抵の人が<純粋>で、時間を超えた、決して変わることのない、だからこそ、使い道のある場所だと思うことについての困難さ。内側から(あるいは傍観者として)みると、実情は違っていて、<純粋さ>とは彼らが生きてゆくため、自らを閉じ込めた監獄に過ぎないのです。」
受け継がなければならないのは、父親が理想のために七点八倒しながら生きたという記憶。それは美しいものではなく、生きていることの滑稽さにつながる何か。しぼってしぼってしぼりきってようやく出た、人生の果汁の一滴。陽の光のように空想の世界で手のひらに受け止めるべきもの。
「百年の家」の最後は儚い。やがてすべては消える。時がいつもの相貌で人間たちを押し流す。ひとつの季節が過ぎる。それはひとつの人生のように短い。
監督・脚本:アリーチェ・ロルヴァケル
主演:マリア・アレクサンドラ・ルング、サム・ルーウィック
原題「Le Meraviglie」イタリア・スイス・ドイツ合作 2014/111分
公式サイト
「百年の家」
絵:ロベルト・インノチェンティ
作:J.パトリック・ルイス 翻訳:長田弘