岡山県瀬戸内市牛窓。牡蠣の名産地である。港の近くの作業場では、牡蠣の殻を剥くために何人もの人を雇っている。毎日毎日、いったいいくつの牡蠣を剥いているのだろう。気が遠くなるようだ。しかし、町は過疎で後継者もおらず人手が足りない。中国からの出稼ぎ労働者や、震災の後宮城から移り住んで来たという人などがこうした労働を支えている。
この映画はその日常を静かに綴ったドキュメンタリーである。
宮城から移り住んだ渡邊さんの作業場にも、近々中国から2人やってくるということがわかり、自然とカメラは牛窓の中国人労働者というテーマに向かう…。監督は想田和弘。「選挙」「精神」などに続く「観察映画」第6弾ということだ。
「観察映画には『予定』もなければ、そこから外れる『想定外』もない。事前のリサーチや打ち合わせ、台本もない。予定調和や先入観を排し、そこで起きることを虚心坦懐に観察し、その結果を映画にするのみである。」
撮影する監督は、中国からくる労働者にかなり興味を持っているのが分かるが、ある程度以上は踏み込むことがない。中国人同士の会話も撮影するが、何を話しているのかもわからないままだ。
NHKの番組に「世界ふれあい街歩き」という番組がある。旅人の視線で番組が構成されており、あくまで旅人が触れることのできる情報以上に深入りすることはない。どんなに面白い人物に出会ってもあえて突っ込んで取材しないのだという。その感じに似ている。あくまで通りすがりに出会った人たちという以上の情報はなく、知るつもりも無いようだ。監督はこう語っている。
「ある意味『観察映画』は現実を素材にしながらも、ポエムの領域、詩の領域。事実関係を調べたりすると、詩ではなくジャーナリズムになってしまう。かといってその作業がまったく不要かというと、不要じゃない気もする。難しいですね。」(「観察する男」)
これを食い足りないと思うか。それくらいがいいのだと思うか…。私は少し食い足りなかった。来日した二人の中国人は中国のどこから来たのか、なぜ来たのか、国内の仕事探しはそんなに難しいのか、聞いてみたいような誘惑にかられる。そもそもそんなに貧しいような印象がないというせいもある。
最も強い印象を残すのは、2人の中国人が来るというその日に、雇い主のおじいさんから撮影をやめてくれと言われるシーンだ。これから仲良くやろうという時にカメラがあることで、中国人がストレスを受けるのは嫌だという。ずっと後ろ姿で語るおじいさんの、受け入れ側の緊張と、あえて深読みすれば、後継者がおらず外国から人を呼ぶことに対する慙愧の思いが透けて見えるいいシーンだった。
ただ欲を言えば、このおじいさんの思いは想像するのでなく、もう少し突っ込んで知りたいと感じたのだ。観察映画では邪道なのだろうか。
監督・製作・撮影・編集:想田和弘
製作:柏木規与子 2015 / 日本・アメリカ / 145分
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